おかかえのあたま

ぐれたりぐれなかったり

弱いロボットになりたいの話

周回遅れ感は否めないが弱いロボットになりたい。

 

弱いロボットとは、豊橋技術科学大学でなんやら難しいことをしている人たちが作った「もじもじしながらティッシュを配るロボット」や「ポイ捨てされたゴミの前であたふたしてゴミを拾ってもらうゴミ箱ロボット」のことである。詳しいことはわからないけど、人間が手伝わなきゃいけない(正確には手を貸してあげようと思える?)不完全性が愛される理由になっているらしい。

まあ、ルンバあたりの機械もそうなんだろう。ルンバのために床にものを置かない。人間にちょっと何かをしてあげようと思わせる、そういう類のロボットは割とウケるものらしい。ちなみにルンバが掃除をしているから部屋がきれいになるのではなく、ルンバのためにしていることが結果として部屋をきれいにしていることに繋がるという論があるが、これを大声で言うと見えない力によって消される。わたしも気を付けたい。

 

 

弱いロボットが愛される。

不完全なものが愛されるというのはロボットに限った話ではないと思う。仕事でなければ、ちょっとくらいなにか不器用なことがある方が他人から見て好感が持てたりするものである。非常に雑な表現をすると、女性でいうところの「隙」があるというものだと思う。だから、男性から愛される・興味を持たれる・アプローチをしてもらいやすい女性というのは弱いロボットのような原理なんだろう。かんぺきパーフェクトな高嶺の花子さんよりも、「とっつきやすいかもしれない」と思わせる凡女の方が意外と恋愛経験豊富だったりするのだろう。まあ、適当である。

 

 

 

わたしも弱いロボットになりたい。人の手助けがほしいとか、誰かに気にしてもらって生きていきたいとかそういうことではない。他人の感情なんかおかまいなしで、プログラムに従順に生きていきたい。不具合があったら他人に勝手に直してほしい。直せなくなったら捨てるか、使える部品をリサイクルしてほしい。そういうことである。

 

 

とはいうものの、自分が弱いロボットになれないのはわかっている。いくらわたしの最終学歴が中卒か小卒か怪しいという疑惑が出ても、そのくらいのことはわかる。馬鹿にするのはすきにしてほしいが、直接は言ってこないでくれ。鍵のついたツイッターか友人とのLINEくらいにしてくれ。

弱いロボットになれないものの、わたしも脳みそが正常に動き、不具合があればその都度投薬か電気けいれん療法でもして治してほしい。治る見込みが薄いなら、安楽死させて大学病院への検体か、臓器移植を待つ人たちへ使える臓器を届けてほしい。しかし、今の日本ではそういうことができない。

 

 

 

弱いロボット未満の不具者になってしまった。

 

 

 

 

少し前まではわたしも貝になりたいと思っていたが、弱いロボットもいいなあ。

 

 

 

やさぐれぱんだ

あぐれ