おかかえのあたま

ぐれたりぐれなかったり

平和って言葉がなんか懐かしく聞こえないかの話

今は昔の話である。

 

まあ、以前の記事にも書いたであろうが高校の時あたりで聴くとボロ泣きしていた曲である。

 

親は当然のごとく子を愛し、子もまた親を敬い感謝する。

なんともぬるく型通りでつまらぬ発想である。

 

 

こんな斜に構えた思考も認知の歪みゆえか。

認知の歪みか、何一つ治る見通しは立たず、カウンセリングでも受ければ変わるか?

 

 

変わらないだろう。

何も変わらないのである。幼少期からの刷り込み、脳の奥深くまで植え付けられた他人への不信感、特に男性への恐怖と大人への失望。

 

 

 

変わりたいのか、変われないのか、自身の意思はもはや分からない。

 

 

 

理解を深めることはすなわち自身の思考を縛ることであり、思考停止はもはや人間としての死と相違ないであろう。

 

 

 

 

夜の思考はあまりよくない。

 

 

 

 

今夜は青色。

百合の花咲くの話

タイトルは全くもって関係ない。
特に思い付かなかったので書いたというだけである。




早いもので今年度ももうすぐ終わるらしい。
流れる季節の真ん中で…というところであろうか、日付が違った。




最近はといえば、相変わらず労働に身を費やし疲弊している。
疲弊しているとは言うものの、存外に気力はあるように感じる。無論、感じるだけで正味な話、身体的な限界はそこそこに近いように思う。

気力があるように感じ始めたのも昨日からで、理由は単純に1ヶ月ぶりに心療内科に通えたというだけで状況は何一つ変わらない。
ただ、少なくとも手持ちの眠剤がないゆえの不安や頓服がないゆえの焦燥感は減った部分はある。
薬がないだけでこれだけ安定しないというのも困りもので、これが半ば一生続くのかと思うと耐えられるか否か微妙なところであり、消耗した脳は戻らないという事実から目を背けて暮らすしかないのが現実としてのしかかってくる。

以前書いたようにも思うが、そもそも双極(以前の診断はうつであったが)は完治とは表現せず、寛解という言葉を使う。症状が落ち着いただけで再燃の可能性が高いため、完治とは表現できないらしい。
躁のときに勢いに任せて飛び降りるもよし、抑うつのときに気力を振り絞って首を吊るもよし、ああ、ただ首吊りは以前に失敗したので飛び降りるか飛び込むかのいずれかがいいのかもしれない。
他人の迷惑というのは重々承知で何回でも轢き殺してくれて構わない。
いちばん効率的なのはこういう類の精神疾患持ちを社会保障費を圧迫している順に大学病院や製薬会社に売り飛ばして検体にするか、健常かつ積極的な経済活動をしている臓器移植待ちの人に内臓丸々提供すると無駄がなく、理想的な循環型社会の実現が目指せるのではないかと思う。まあ、このあたりは小学生の夏課題のノリで書いたが実際にそう考えているのだから致し方ない。

とかく双極、統失、精神疾患ではないが社会に適応できない程度の発達障害あたりも潰してしまって構わないだろう。
このあたりは遺伝もすれば、そもそも完治の見込みがない。生きてるだけで害をなすと言えば言い過ぎなのかもしれないものの、正直生きている意味はほぼほぼないと思う。
生物としての多様性に脳の疾患は不要であるというのが持論だからだ。サヴァンや何かを想像する人たちは些か夢を見すぎだろう。健常者でさえ、使えないゴミクズがどれだけいるかわかっているのか。況や障害者をや、である。
あまり書くと障害児を天使と呼ぶ類の盲に袋叩きに遭いそうなのでこの辺にしておくか。

しかし、健常者が希死念慮を持たず日々暮らしていると聞いて信じられない。
瞬間的な絶望から死を考えても、健常者の脳はこういう作りにはなっていないらしく、生に対して前向きな人間というのはもはや別種の生物である。
ここ数日は自死を考えるというより、生きずに済む方法を考えることが多かった。イコールのようだが、自身の中では異なる問題なのであまり深くは追求しないでいただきたい。
死ぬのも面倒な程度には肉体が疲弊していたというのが正直なところだ。労働に身を費やすのは疲弊する反面、正常な思考を鈍らせ感覚を劣化させるという意味では自殺の危険性が低くなるような感覚があり、あながち悪くないのではないかと思えてしまうあたり、「健常な人間」としては終わりが近いようである。

健常か否か、という論もそれぞれあるのだろうが主治医からは「慢性疾患ゆえに生涯に渡る投薬をある程度覚悟しておくように」との金言を頂いているため、覚悟のないわたしにとっては楽な死に方がないかを探す理由にしかならなず、余計に人生に対して絶望せざるを得ない。




久々で書きすぎたか、こんなところで。




今日は紺色。

距離感の話

全くもってわからない。

どちらかというと距離を置きガチな方だと思う。人見知りをする、知らない人は怖い、いつか殴られる、そんな気がする。そろそろなおしたいところである。

 

 

スマホの調子がすこぶる悪い。

4年4ヶ月になれば、、、

 

、、、ああもう上手く書けないな

おしまい

、、、、、、

 

 

 

ゴミかこよスマホ

また体重が増えたの話

自己嫌悪の日々である。

 

 

体重が増える原因は色々ある。

食べすぎ飲みすぎストレス運動不足病気やら薬の副作用。

幸いなことに薬の副作用はなさそうである、一昔前まではトピラマート(?)たぶんトピナが過食防止で処方され、ねむいのでこのへんで

 

 

 

 

 

ねるねるねるね

塩分の話

ここのところ甘味より塩味である。

 

 

 

しょっぱいものがほしいというわけであるが、これはどうやらミネラル不足が原因らしい。知ったことか。

食べたいものを食べたいように食べる。

ゆえに炒飯には塩コショウ、置いてあれば一味を足し、餃子は酢醤油に浸し、揚げ物類もソースやタレに浸かってもらう。素材の味というのは正味もうよくわからないものの、それはそれでいいのである。

個人的には塩分が取れて満足している。

 

 

 

 

塩分過多で血圧が…という話はよく耳にすることであろうが、どうやら日本人の3割程度しか関係ないらしい。わたしも今のところは関係ない部類の人間であるようだ。

塩分を取りまくってても血圧は安定して上も二桁のやや低め。女性にありがちな数字で生きている。

 

 

 

ここのところ健康だ美容だなんだと書いているが、そういう話題を書けているときの精神衛生状態はそこそこよい。

これは予約投稿になるため、投稿時にどうなっているのかはわからない。

年末年始は時間が有り余っていたものの、複数人と会うほどの余裕がなく、1対1で会う予定はどうにかなったものの、それ以外はむずかしく断ってしまった。人がたくさんいるのがこわいというよりも自分の余裕がないときに複数での予定があると「ここには自分が参加しなくてもこの会はまわる」という気持ちが根底にあるからだと思う。実際そうだから取り立ててあれこれ言われることもないのだろう。

言われていたところでわたしのいるところでなければ大丈夫である。陰口叩いて発散されるなら大いにそうするべきだと思う。

 

 

 

 他人に迷惑をかけない方法でストレスを発散させることがだいじ。

ゆえにしお。

 

 

 

そんなところで。

 

 

 

 

おかかえのあじしお。

一皮むけたの話

あけました。導入がどうだったのかも忘れてしまった。

言わずもがな新年である。

 

 

 

年末年始は割合に時間を持て余しており、ブログの存在も忘れていたため、無限に今戸やら何やらと検索していた。

 

 

 

さて、一皮むけたの話である。

 物理的に顔面の皮膚が剥がれ落ちている。

 

というのも、トレチノインを先月の半ばから使い始めたからである。もともとそこまで肌は汚くなかった。というよりきれいだった。

使ってみたくて美容皮膚科で出してもらったわけで、赤みと皮剥けは本当にすごい。気になっていた箇所は剥けがあるたびに気持ちきれいになっていると思うものの、日々の洗顔入浴化粧水トレチノイン保湿全てが痛い。日焼けも化粧も痛い。

そこそこ痛みに強い方だという自負はあるが、そこそこに痛い。

 

わたしはこれが初回の1クール目のため、トレチノイン0.05%という低めのもので、個人輸入をしている美意識の高い方々の中には初めから0.1%(高濃度)を使う方もいるらしい。また、わたしは手持ちに他の美容皮膚科で処方されていたハイドロキノンがあったためそれを使っているため断ったが、トレチノインの美容皮膚科でハイドロキノンも一緒に使えと勧められた。実際、調べてみると一緒に使うべきだと思う。

 

 

トレチノインは1クールが2週間~6週間のトレチノイン塗り期間(?)と同じくらいのクールダウン期間がセットになっており、シミの抜けが足りない等の効果が薄ければ濃度を上げて2クール目3クール目とやっていくようである。

正直わたしは1クールでいい。化粧しなくてもそんなに困っていなかった鼻の毛穴がめちゃくちゃ小さくなったと思う。あとはずっと体質だと思っていた口周りの黒ずみと唇の色素沈着(唇には使うべきではない)(保湿のときについた)(唇がべろべろ剥けた)が薄くなった。鼻はそうでもなかったが、口周りはめちゃくちゃに赤みと皮剥けが酷かった。あとはうっかり目の周りにつけてしまうと翌日悲惨なことになっていた。たまに眼帯を使って会社に行った。

 

 

 

ちなみに付け加えるとトレチノインは冷蔵庫保管で約1ヶ月しかもたないとのことなので、1回買ってしまったら1ヶ月で使い切れる限り塗った方がいいと思う。発想が乞食なので。

わたしは顔の気になる箇所以外にも身体の水疱痕や色素を薄くしたいところにも勝手に塗っていた。ただこれは医師の診察の範囲外のため、自己責任である。色素はめちゃくちゃ薄くなった。ただ、皮は剥けるし、痛いし、皮は剥けた。

 

 

 

 

1回やってみたいというわたしの経験欲が満たされたので個人的には非常に満足している。ただ、めちゃくちゃに赤みが出て、めちゃくちゃに痛く、めちゃくちゃに皮が剥ける。多少盛っているかもしれない。

 

 

 

そんなところで。

 

 

 

 

おかかえの2019年。

保険に入れないの話

障害者手帳障害年金を受け取っている。

 

 

 

診断名は当時が双極性障害である。おそらく今も変わらないだろう。

いわゆる躁うつ病というものである。

診断名が変わったのは確か今年に入ってから。主治医が「障害年金の申請をしてみてはどうか」という提案をしてくれたため(相当珍しいらしい)、うつ病から双極に変わった。

実際、自分でも躁うつだと思う。というより、ラピッドすぎるくらいのラピッドサイクラーだと思う。自分の感情と行動についていけないことがままある。

 

 

 

薬も増えた。

気分安定薬が3種類

眠剤2種類

抗不安剤2種類

副作用止め2種類

寝る前が多い。

 

嘘をついた、病院を変えたので分散して飲むようになった。

気分安定薬も抗てんかん薬が含まれている、まあバレるバレる。

病院を変えた理由は単純である。

無能な医療事務にキレそうだったからである。このことは機会があれば書きたいと思う。

 

 

  

そんなこんなでわたしもメンヘラの例に漏れず寝る前の健忘的な時間は大抵何かしら健忘的に過ごしているがなんとほぼ保険のパンフレットを請求している。

健全かつ意識明瞭なときに見ると打撃の大きいものである。

告知義務の関係で生命保険はもちろん入れず、緩和保険のようなものにも入れない場合が多い上に緩和保険は言わずもがな高い。か養老保険だか就労保障保険だかまあその類にも全く入れない。ごみである。

 

 

現代の河原乞食はこんな感じであろう。

正味な話、つかれたので医者か看護師と付き合って存分に血を抜いて死にたい。

 

  

 

 

 

そんなところで。

 

 

 

ヒステリー球。