おかかえのあたま

ぐれたりぐれなかったり

虫がいないの話

夏になるといつも思うことである。




いつもというのは語弊があるが、ここ最近はという意味では虫がいない。

まあ、虫というのもほぼ蝉のことを指している。
うるさくないのは快適である。






そういえば、上京するまで毎年毎年朝から晩まで何かしらの虫が鳴いていたように思う。

何かで虫の鳴き声を「歌」や「音」と表現したがるのは日本独特の文化云々というのを読んだような気がする。
風流といえば確かに聞こえはいい。
好きな人なら好きだろう。
季節のものを楽しめるというのも才能のひとつである。




わたしは虫どころか犬猫その他畜生の鳴き声さえ極力耳に入れたくない部類の人間なのでこの環境はかなりありがたい。
風情がない。






鳴かない虫もそれなりにいることは知っている。
虫は機械的で不気味で思考を読めない。

学生のときに「虫くん」と呼ばれていた子がいた。
あだ名の由来は、誰からも何を考えているのかわからないからというだけだ。いじめられたわけでもなく、無視をされていたわけでもなく、他人をないがしろにするわけでもなく、協調性が皆無というわけでもない。
不思議な子だった。
心ここにあらずというか、何を考えているのか本当に何も考えていないのかとにかく掴みどころがなく虫みたいな子であった。
寡黙であったことは覚えている。教科書の読み上げくらいしか大して言葉を発していないようにも思う。
もしかしたら、虫くんは人間の皮を被った虫だったのかもしれない。

はしゃいでどうでもいいことに一喜一憂する子どもを複眼で観察しながら、機械的に人間の行動を記録していた可能性もある。
我々が到底理解し難い遥かなる高みからただただ暇潰しに下界に降りてきた虫たちのひとつが虫くんだったのかもしれない。





そんなわけはない。






話が逸れた。

蝶や蛾の類は変態する。
こっちを書けばよかった。

この話はまたそのうち書きたい。





そんなところで。





ぬるぬるスピアー!