おかかえのあたま

ぐれたりぐれなかったり

意識をすると絶望するの話

散々書いた投薬のことである。



最近会った知人に今飲んでいる薬が一生服薬が必要なことを少し話してみたところ
「毎日飲むの?しんどいね」
という反応が返ってきた。



正直、毎晩飲む薬に関してはもう諦めているし、無心で錠剤を出しては水で飲み流すことをかれこれ8年かそこら続けているため、何とも思っていないつもりではあった。

しかしながら、純粋な心配や共感であれ、維持薬について「しんどい」と言われたことで久しぶりに「ああこれは世間一般では哀れに思われることなのだろうか」「確かに毎日薬を飲まなければ安定を保てないのは異常である」等々考えてしまった。

考えること自体に意味はないことはわかっている。

誰に何を言われ、どう思われようが淡々と薬を飲み続ける選択しか残っていないのだから致し方ないというわけだ。




いつだったかHIV感染者がAIDS発症を抑えるための薬を死ぬまで毎日服用することに絶望して自殺したニュースがあった。

気持ちはわからなくない。

病気の比較をするわけではないが、不治の病ではないとはいえ(完治しないという点では不治の病かもしれない)改めて考えるとそれなりに劣等感を抱かないことはないし、何より単純にみじめである。




わたしは概ね人生が幸福であるように感じながら日々を過ごしているものの、時々凪いだ水面に小石を投げるが如く、安定した精神を揺さぶる出来事が起きる。
自身の行動では不可避であるとはいえ、それを理由に全てを全て見なかった・聞かなかった顔をして過ごせるほどはまだ人間が出来ていない。

無論、面倒事は避けたいため、大抵は現場から離れる・その人物と幾らかの期間疎遠になることで自身の中で消化していく。





今飲んでいる薬は夜のみで17錠。
多いか少ないかの判断は各々に任せるとして、わたしにとってこの数を少ないとは言い難い。
無関心を装わなければ毎晩毎晩この数を死ぬまで飲み続ける馬鹿げた作業に耐えられないだろう。

幸いなことに同じ病気の人間は平均して20-30年程度死ぬのが早いらしい。それでも50前後まで生きるのかと思うと途方もなく遠い未来に感じるが、70,80まで生きるよりはいくらかマシだと思う。

薬物の代謝に肝臓が耐えられなくなったか、もしくは大抵の患者は喫煙・アルコール・その他違法に近い薬物を接種しているために寿命が短くなっているという推論が立っていたが、読んだ論文では被験者の数が少なすぎて再現性に欠けるため、せっかくなら大規模な精神科病棟の入院患者に協力してもらい、個人を特定できない範囲で数値を出すくらいはできそうなものだが…話が逸れた。






ただ単に現実逃避も大事なのでは?という話でした。






そんなところで。







ぬるぬるポッチャマ