前に進むとはの話
どういうことなんだろうか。
よく考える内容である。
10代半ばを頂点に肉体は老いる一方、思考も柔軟さを失われがちである。
単純な時間的経過だけを前に進むことと断定してしまっていいのか、ということだ。
わたしの中ではほぼほぼ答えが出ていて、時間的な経過のみを前進とすることは基本的に是としない。
ならば何が前に進むということなのだろうか。
仕事で昇給昇進をすること?
恋人や配偶者を作り、家庭を持つこと?
家庭を持った上で子どもを育てること?
何かの学問で優れた研究・結果を残すこと?
他人より資産を蓄えること?
薬を飲まずに生活できるようになること?
過去の恐怖や憎悪を忘れ日々を笑顔で過ごすこと?
わたしの病気の原因を根本から取り除くこと?
正直、どれも2割は正解でテストで言えば△ではないか、というのがわたしの意見で、この2割が重なって10割になったとしてそれが果たしてわたしの最適解かと問われれば、それもおそらく否である。
人間は生まれたときから死ぬ運命にあるもので、前に進むというのはつまるところ死に向かって時間を重ねていくことと相違ないだろう。
死なない「ヒト」がいるのであれば是非とも教えていただきたい。ロックフェラーでさえ、心臓移植を7回し、100余歳で鬼籍に入った。
不老長寿の伝説の類はよく聞くものの、大抵が自分より早く亡くなる他人との別れに嘆き悲しみ、宗教に入り、入滅ないし昇天して最期のときを待つというのが定石だ。国内であれば八百比丘尼あたりがそうだろう。
死という期限があるからこそ「ヒト」は有限の中で足掻くものだと教訓めいた話が多く残っているのは、いつの世も前進とはなんなのかを悩み考えた人々がいたからだと思う。このあたりはわたしの勝手な推察で何の根拠も証拠もないため、適当に読み流していただきたい。
わたしもこんなブログを書き連ねてはいるものの、30歳という節目を目前に控え、思うことがないと言えば嘘になる。
そもそも十進法で節目だなんだと騒ぎ立てるのも「ヒト」特有なのだろうが、運良く平和かつ安全かつ教育水準のそこそこ高い文化圏に生まれ育って刷り込まれているのだから致し方ない。
無論、現在も軽躁は続いていて人生の極大を更新し続けるような感覚はあるが、同時に上がりに上がった位置エネルギーは降下のときに手加減をしてくれないだろうという漠然とした不安もある。
そんなところで、前がどちらなのかも決めるのは自分だね。
用意は周到、準備は万端、全てに於いて先手必勝。
分相応な人生を。
あぐれ