一年ぶりの話
前回の更新からということである。
単純に存在を忘れつつありました。
前の更新から今日まで特に大きな変化があったというわけではなく、わたしの日常は静かにゆっくりと流れていくだけです。
身辺整理がそれなりに進んでいるのですが、3年前のダンボールがそのままになっていたり、とりあえず毎回持っていくものの本当に必要あるのか?というものもたくさんあり、物理的にも精神的にも身軽に生きるというのは存外難しいのかもしれません。
とはいえ、生きる上で必要なものだけで生活が構成されてしまうと、それはそれでわたしの生きる意味はあるのか?という公案的な雰囲気も出てきますし、人生の不必要を楽しむ余裕がいつも欲しいものだと思います。
最近、持っていくか迷った中のひとつに写真があります。
幼少期から大学か社会人なりたてあたりまでの写真で、梱包前に少しだけ見返したものの、病気になる前の自分がどうだったのかわからなくて、だんだんつらくなるのですぐに見るのをやめてしまいました。ひとりでいるときの手元に置いておくには、扱いづらいものになってしまったようです。
エピソードとしての自分はわかるのですが、どんな風に過ごしていたのかうまく思い出せない…。
単純に加齢で他の人もこういう経過を辿っているのか、それとも疾患もしくは薬のせいなのか、いずれいせよ病気に振り回されることなく過ごしてきた日々を考えると複雑な気持ちになります。
発症前は親やその他親族に振り回される生活をしていて、発症後は病気と薬に振り回される生活をしていて、どちらが生きやすいか…どっちも嫌かな、通院と服薬は飽きました。
で、今日も少しずつ家のものを引き取ってもらったり、送ったりしながら過ごしていたのですが、部屋の中が殺風景になっていけばいくほど
そんなところで
抑うつ爆発しそうなのでこのへんにしておきます。
昔に書いた文、気持ち悪いから消そうか迷うし、開始時の設定も忘れたけど、またたまに書いていきます。
本当に昔の自分が思い出せなくて悲観的になってしまう。
ぬるぬるヌマクロー!