おかかえのあたま

ぐれたりぐれなかったり

服薬と日常の話

毎日飲んでる薬が7種類ある。

気分安定薬、睡眠系の薬、整腸剤で計7種類だ。
内1種類は胃の保護目的の漢方のため、錠剤として飲んでいるのは毎日15錠くらいになる。

ちなみに次の通院でもう1種類増えると思う。


薬が増える分には構わない。
構わないが、そんなに薬を飲んでまでして生きる意味はあるのだろうか。甚だ疑問である。

薬を飲まなければ成り立たない人生に意味はあるのか、考える時間が増えた。



例えば、糖尿病の人は血糖値をコントロールする薬を飲むだろう。
それはおかしいことだと思わないし、治療の一環としてするべきだと思う。

持病は1度悪化すると波が穏やかになって寛解したように見えても脳が疲弊し萎縮するとのことらしい。ちなみに今のところ脳の萎縮を止められても(萎縮の速度を遅くできても)元に戻すことができる文献は読んだことがない。
そう考えるとわたしが薬を飲む意味とはなんなのかいまいちよくわからなくなってしまうのだ。

正直、他人に迷惑をかけないように迷惑予防で飲んでいる側面が強い。
自分は飲んでいても飲んでいなくてもどちらでもよいし、なんなら飲まずに死んでしまいたいと思う。
死ぬ死ぬ言うと周りが「かなしい」だとか「さみしい」だとかどうでもいい感情のお世辞を並べてくれるので、言えることではないがいつかレボトミンがたくさんたまったら手持ちのベゲタミンととっておきのアルコールと一緒に最後の晩餐をしようと思う。
障害が残っても構わないし、死ねたら本望、意識がなくなれば万々歳である。

早く薬をためて死にたいなあ。



ぐるぐるグルマンディーズ!

書くことに困るの話

書きたいことは山積みである。


そもそも、はてブスマホ投稿するのをやめたらいいのかもしれない。
PCを叩く気にもならないが、読んでくれている方もいるようなので少し頻度を上げていきたい。



さて、書くことに困っている。
書くことがないわけではない。
何を書けばいいのか、どこから手を付けようか、という夏休みの宿題をもりもり残した小学生と同じ状況だ。



最近はと言えば、正直体調は芳しくない。
なんとなく疲労は取れないし、薬は効いているのかいないのか、という感じでなかなか日常生活をうまく送れていない。




書ける気がしないのでまた。



ぐるぐるジャングルジム!

やりたいことリストの話

あけましたである。
あっという間に年が明けてしまった。



そんなわけで適当に今年のやりたいことリストを書いていく

1、今日の時点から12kg減らす
2、積立NISAを始める
3、うさぎ肉を食べる
4、年金の更新をする
5、カットモデルをする
6、1日10000万歩
7、安定した収入源をみつける
8、部屋の中の要らない服を捨てる
9、100冊本を読む
10、英語の参考書に毎日目を通す
11、牡蠣を食べる
12、温泉に泊まりに行く
13、台湾に旅行する
14、ふるさと納税をする
15、アウトレットに行く
16、バスツアーに行く
17、谷根千に行く
18、一人でダーツに行く
19、新しい友人を見付ける
20、素敵だと思うことを否定しない
21、自分のペースを大事にする
22、野菜を意識してとる
24、お酒を飲む人と距離を置く
25、やったことのないことをしに行く


漠然としたがこんなところで



くるくるニョロモ

また眠れないの話

眠剤を飲んだのが2時間前である。

掲題の通り、眠くない。



こういう日には否応なしに考え事をしてしまうもので、つくづく一人でよかったと思う。
もし、友人知人やきょうだい恋人が隣にいたらみじめでつらくて消えてなくなりたかったことだろう。



心療内科に通い出してから8年ほどになる。
わたしの中ではもう通わない選択肢はないため、これからもこの数字は死なない限り無限に伸び続ける。その事実もあまり受け入れたくはない。




薬を飲み始めて確実に変わったことがふたつある。
ひとつは寝る前の服薬準備の絶望感と虚無感に苛まれること。
もうひとつは旅行をしたくなくなったことである。

言わずもがな、眠剤は寝る前に飲む。わたしの場合は安定剤の類もまとめて寝る前に飲む。
シートから15錠ほどの薬を取り出し、水とともに服用する。
たったこれだけに思えるかもしれない一連の動作が毎日苦痛で仕方がないのである。
毎日毎日これが続くと思うととにかくみじめで薬頼りの自分に情けなくなる。
ただただ、悲しく陰鬱な気分になる。眠れない時は尚更だ。

旅行をしなくなったのもそれが大きい。
他人は薬を飲んでいるわたしより先に寝て、薬を飲んでいるわたしの方が早く起きる。これもみじめである。薬を飲んでも常人より眠れないのだ。
わたしはこんな人生が送りたくて薬を飲んでるわけではない。他人に隠れて薬を飲まなければならないようになったのは劣等感からだと思う。



もともと長時間眠れるタイプの人間ではなかったかもしれない。それでもここまでひどくはなかったはずだ。
眠れないつらさは眠れない人にしかわからない。
人並みになりたい。

泣けないという話

掲題の通りである。

泣きたいのに泣けない。
それがつらい。


知人に相談したら
「感動する映画を見てみたら?」
くらいにさらっと流されてしまった。

つらい。

喉のあたりもずっと詰まった感じがする。
誰かに救われたい。
助けてほしい。

そんなことを言えるはずもなく、ブログに書いて終わるのである。
どうやったらストレスや今の思考から離れられるかな。

しんどい。

できなくてつらいの話

誕生日前後は大抵絶望するものである。


そんなわけで2ヶ月ほど放置してしまった。理由は特にない。

最近のできないことはまあそれなりにあるものの、
主に
眠りたいのに寝れない
泣きたいのに泣けない
風呂に入りたいのに入れない
の三つである。

食事はギリギリあまりできてはないないが、書くほどのことでもない。
寝れない泣けない風呂れないのはしんどい。


ブログも書きたいのに全然書けない。
しんどい。

このあたりで。


楽な死に方ないかなあ

キノボリガメの話

カメレオンを買う機会がないのでキノボリガメに思いを馳せる。

キノボリガメは南米原産、特徴は勿論カメの甲羅を持ちつつもカメレオンが如き緩慢な動きで木に登ること、つまり立体的な移動ができるという点に集約するだろう。
キノボリガメは他の陸生のカメ同様、適度な紫外線ときれいな水、野菜と果物を必要とする。

なんといってもキノボリガメの愛くるしい点は木登り後に適切な休憩地を見付けて昼寝をする姿である。最もよい飼育環境を作るために苦心する人が続出しているとのことだ。

寿命はおよそ15-40年、飼育下ではさらに伸びるというが飼育例が少なく正確な数字は定かではない。正式な記録ではないが、飼育下で74年生きたという話が19世紀のカンボジアに残っている。
卵生であり、わずか数センチだった幼体は3年ほどで生殖が可能なほどに成長する。その後も脱皮を繰り返しながら成長していく。キノボリガメの特異な要素のひとつとして10歳以上の成体は木登りをしなくなることは有名ではないため、今後飼育を検討する方は頭に入れておいていただきたい。。
大きな個体が木登りをしないことについては諸説あるものの、足で木を掴み、大きな甲羅と自重を支えることが困難になる説、そもそもある程度育てば外敵が減るため木に登る必要がなくなる説など、さらに観察し研究の余地がある点もキノボリガメ飼育の醍醐味である。




ここまで書いたけど、キノボリガメは存在しません。
今からキノボリガメの認知度をあげる活動をしていきます。
読んでくれた方、お疲れ様でした。


そんなところで。



かみなりぴかごろキノボリガメ!