おかかえのあたま

ぐれたりぐれなかったり

東京タワー

ヘッダーにもしている、スカイツリーに立場を奪われそうで奪われない赤い塔である。

1度しか行ったことがない割に個人的な思い入れがかなり深いところで、もう1度兄弟と一緒にのぼることができたら、まあ死んでも後悔はないかなあというところである。

 

 

 

大学4年の後半に実家に帰れなくなった。

ドクターストップというところもあるが、とにかく帰るのが怖くなってしまった。ひとりでなんてもちろん帰れない。帰るくらいなら自殺をするか、死んでしまえば帰る必要などない。まあ極端な思考だとは思うが、会社に行くより死んだ方がマシと思っている社畜も似たような心情だと思う。人間は余裕がないとき、極端な選択をしてしまいたくなるものらしい。

そんな状態だったが、新卒の会社の身元保証書とやらには保証人2名の署名捺印を実印で印鑑証明をつけて寄越せとのことであり、当時のわたしは絶望するやらパニックになるやら、思い出しても記憶が曖昧でよくわからないような事態に陥っていた。まあ、ふつうに思い出したくない事なんだと思う。

とはいえ、わたしが「そんな紙出したくない!」「もうやだ!働かない!」なんて言ったところで実家に強制送還&死体みたいな生活をするのか、意を決して実家に帰り、話の通じないやつらをなんとかなだめすかして連帯保証人さながらにしてしまえば云々、正直どちらも厳しかった。働かない選択肢はなかったので、結局どうにか実家に行くことになった。

メンタル、フィジカル共に最悪だった。ひとりで帰るくらいなら上野かどこかの駅に飛び込んでやる。とにかく親に会いたくない、父親母親祖父母そんなものは関係ない全員に会いたくないのだ。どうせなら全員死んでくれた方がわたしの人生にとって有益ではないか、そんな不謹慎なことも考えた。直後にそんなことより自分が死んだ方が早い。そういう思考の繰り返しである。薬を飲みつ、涙を流しつ、今後のことを考えては絶望するの繰り返しだった。やる気が起きなくて書きたい卒論も書けなくなった。そもそも字が読めなくなった。自分はなんて馬鹿なんだ頭が悪いんだもう何もできないんだとまた絶望した。とにかく泣いた。途中から泣きたくても泣けなくなった。食欲なんてものはよくわからなくなり、3ヶ月で10kg以上勝手に体重が落ちた。就活のとき着ていたスーツがゆるすぎてすべて買い直した。

 

 

絶望していても時間はすぎる。飯を食わなくても時間はすぎる。

書類の締切だって迫ってくる。いつだって時間は有限で不可逆だった。不可逆でよかった。親殺し少年院卒にならずに済んだ。

ひとりで起き上がれず「このまま死ぬか」とぼんやりしていたら、兄弟から連絡が来ていた。

内容は「付いていくから身元保証書だけ完成させてさっさと東京に戻ろう」というような感じだったと思う。とにかくありがたかった。ありがたいがいやな気持ちはまったく変わらなかった。申し訳ないけど、同行者がいるからどうにかなるような感情でもなかった。ありがたさと相反する気持ちで頭がおかしくなりそうだった。嫌なことからは目を背けてとりあえず死にたかった。

 

そうそうしているうちに兄弟が迎えに来た。ろくに化粧もできない、服も選べない、会話が成立しているのか否かも曖昧なわたしを連れ出してくれた。塞ぎ込んだ気持ちは変わらなかったが「せっかくだからどこか寄り道をしてからにしよう」そういう提案があり、はいともいいえとも言わないままわたしは兄弟についていった。

 

生まれて初めての東京タワーだった。気持ちはとにかく塞ぎ込んでいて憂鬱なことこの上なかった。でも、なにか気を紛らわせようとしてくれる兄弟の気遣いがうれしかった。展望台にふたりでのぼり、足元に見える暖色の鉄骨の写真を撮った。展望台には仲の良さそうな家族や恋人同士や学生達がそれなりにいたと思う。そんな中でちぐはぐな格好をして外に出てきたわたしを連れて恥ずかしくないのか申し訳なく思った。感謝のことばよりも「ごめん」ばかりが口から出ていた。それでも、兄弟は優しかった。

 

 

後日知ったことだが、当時の兄弟が優しかったのは当時の兄弟の交際相手がめちゃくちゃに怒ったことが原因であったらしい。何について怒ったかといえば、わたしに対する対応についてとのこと。心療内科に通院したての頃、兄弟に打ち明けたら物凄い拒絶反応と共に音信不通になった。それも仕方ないと思っていた。ふつうだった人間がいつの間にか死ぬ死ぬ言い出し、食事が取れなくなり、自宅で何もできず、横になり、首でも吊ったら、わたしもどんな反応をしていいのかわからないと思う。いきなり変わってしまったことの恐怖や落胆があったのだと思う。もちろん当時の兄弟が何を考え、何を思い、どこまで恋人にキレられたのか、わたしは知らない。

 

ただ、本人は「ものすごく怒られた」と言っていたのだから、相当に怒られたのだろう。別に怒られるようなことはしていないと思うが、当時の兄弟の交際相手が鬼のような叱咤をしてくれたおかげでわたしは今とても良好な関係を築けていると思う。とにかく感謝、それだけである。

 

 

そういうわけで東京タワーは個人的にいちばん思い入れの深い場所になった。ひとりで何にもできなくなっても、一緒にあそこにのぼっていたんだと写真を見返し、考えるとなんとなく落ち着く気がする。

 

最近また少し兄弟にわがままを言って「東京タワーに行きたい」と伝えるものの、わたしの後暗い願望を見透かしてか「せっかくだからスカイツリーに行こう」という返答が来る。また東京タワーにふたりでのぼって、やることもうないと思って死ぬのはしばらく先延ばしにさせてくれそうな感じである。

 

 

 

紅蓮の弓矢(東京タワー)

あぐれ