おかかえのあたま

ぐれたりぐれなかったり

考えごと

先月に診断名が変わった。
変わったところでなんともないと思っていたけど、それなりの威力はあった。じわじわ効いてくる感じが年寄りの筋肉痛なんかを連想させて気分は最悪になった。



心療内科に連れていかれてから足掛け6年、まさか自分がメンヘラになるだなんて思いもしなくて、とにかく最初の頃は落ち込んだ。通院前には首も吊ったし、通院後は薬もガンガン飲んだ。
とにかく自分がネットの中のくそみたいな精神障害者になるなんて信じられなかった。やっている事だけ見たら紛うことなきメンヘラだった。リスカするのは馬鹿だと思って注射針を買って血を抜いたこともあった。誰がどう見たってメンヘラだ。残念なことに全部死ねなかった。今思い出しても、惨めで馬鹿みたいで言うことを聞かない脳みそが嫌すぎて泣けてくる。あまりに典型的なメンヘラで、それでも自分の足で立たなければならない環境で、気持ちの整理なんて何ひとつつかないまま時間はどんどん過ぎていった。
赤子が泣くように誰かに構ってほしい気付いてほしいと声高に叫べる年齢なんてとっくに過ぎていた。いつだって若くてきれいなメンヘラが羨ましくて仕方がない。
今までと何もかも違う思考の頭では、死にたいと思っていても、飛び降りるほどの勇気も覚悟もなく、身体だけはどうにか生き長らえる方向に必死なことがこの上なく悔しかった。所詮わたしは死ねなかった側の人間だ。


もちろんこんなこと信じたくないのはわたしの身内も同じくで、初めの頃は拒否反応もすごかった。医者の勧めで両親両祖父母とは疎遠にしているし、兄弟は最初わたしと絶縁すると宣言してきた。まともな家族がいなくなってしまったことがこの上なくかなしかったけど、それも自分のせいなのか、病気のせいなのか、前世で人でも殺したのか、理由を探したくても、脳みそはそれを拒否していた。なんにも考えられなかったし、なんにも考えたくなかった。
ひとりでいることには慣れてるつもりだったけど、やっぱり何かのときに頼れる人がいない状況は本当に不安で虚しくて自分の弱さがいやになった。

ありがたいことに兄弟はその知人の説得もあってか、わたしとまた連絡を取るようになってくれて、とりあえずわたしはひとりではなくなった。経済的に頼れるかといえば全く頼りにならないけど、それでも繋がっている身内がいることに安心できた。迷惑ばかりかけてしまって申し訳ないので、いつか何かの形で支えになってあげたいと思う。



最近は落ち込むことにも慣れてきて、自殺企図をすることもなくなった代わりに他の恵まれた精神障害者が羨ましくて仕方がなくて絶望するようになった。ツイッターでもブログを読んでいても、大抵のメンヘラには頼れる実家があるか、配偶者か恋人がいる。単身で自活ができればメンヘラではないという主張もわからなくはないけど、生活保護を受けて命を繋いで静かに過ごしているか、何かの区切りで自殺しているかのどちらかだと思う。どちらかを選択しろと言われたら、迷わずわたしは後者になりたい。

こんな文を書くことが気持ち悪いのは百も承知で、それでも書いてしまうのはもうこんなこと現実の誰かに打ち明けたり、バレてしまったら、迷惑をかけてしまうとか申し訳ないとか、そういう類のきれいめな建前もあるけど、本音を言えばリアルで他人に憐れまれて生きているのがつらいからというだけだったりする。憐れんでもらって生活ができるなら、いくらでも可哀相なワタシをありとあらゆる方法で演出・発信したい。現状、そんな方法で生活なんてまずできないし、生活はできなくとも誰かに憐れんでもらえたとして、そんなものは始めの2時間くらいで馴化してしまう。毎回似たようなことを繰り返していれば誰だって「こいつのメンタルがまたヘラってる。いい歳なんだからいい加減にしろよババア」とでも思うに違いないし、思わないやつがいたら、衆議院選にでも立候補して日本の精神障害者をどうにかしてほしい。わたしはたぶん投票する。



話は飛び飛びで、とにかく親と疎遠で困るのは保証人になる人がいないということである。今の日本はこんな不具者にも少しはやさしい仕組みになっているようで、賃貸物件を借りるときの連帯保証人は金を払って保証会社を使えばいいし、企業の面接でも表向きは親が何をしているだのそういうことは聞かない方向になってきているらしい。
実際のところ、面接で家族に関して聞こうが聞かれまいが、入社時の身元保証書で「なんだよこれ」と思わざるを得ない状況に陥りがちになる。身元保証人欄がひとりであればどうにか兄弟に頼んで書いてもらえば済むものの、複数人必要な場合はまあ詰む。詰む上にこんな紙ひとつなんの苦もなく完成できない自分を責める。こんな紙書かせたところで何の意味があるのか、会社の金を横領でもすると思っているのか、取引先や協力会社からバックを貰って後暗い営業でもすると思っているのか、雇用側の思考はいまいちわからない。そして、保証人になる人間の少ない自分の状況が嫌になる。あんな紙は書いたところで横領する奴はするだろうし、まっとうに働く奴は働く。わたしはいつだってメンヘラだし、正直家族のことなんて聞いてもほしくないし、盆暮れ正月全部働くし、帰省したい奴だけ休みを取ればいいと思う。どうせわたしに帰るところなんてない。所詮は持たざる者の僻みである。

ともあれ、医師の勧めとはいえ、わたしが勝手に親不孝をしていることについて責められても特段反論するつもりはないし、人並みに両親に対してすまないという気持ちも持っているけど、兄弟に関して言えばそれなりに複雑な感情が沸き起こってしまう。
いつだったか兄弟が「結婚式に親は呼べないね」と言っていたが、それを聞いた日は帰ってからひたすらに泣いた。わたしが両親を呼べないことは仕方がない。我々の関係はいまさらかき回してどうにかなるものでもないし、そもそも交際相手もいなければ勿論予定もないので杞憂であることは明白であるけれども、こと兄弟の話となれば予定の有無に関わらず申し訳なさはこんなブログに書ききれる程度のことではない。後悔したところでなにがどう変わるわけでもないことはわかっていても、もう少し実家での立ち回りがうまければ、せめて兄弟と両親の関係は今より健常な家庭のそれに近付いていたのかもしれないと思うと悔やんでも悔やみきれない。どうせ脳みその疾患があるのなら、思いっきり自分の感情なんてすり潰して彼等のために動いてやればよかったと思う。たらればはいつだってみっともない。



次の仕事がどうとか、そろそろ結婚でも考えればどうとか、そんなことの前に自分の認知の歪みを治さないことには騙し騙し進んだところでまた同じ結果になるのかもしれない。
今の主治医も「投薬は所詮対症療法に過ぎない」と断言しているし、認知行動療法でもしてみようか迷う。カウンセラーと相対して泣かなかったときはないけど、子どものころ我慢していた分だと思えばまだまだこれからも号泣する余地はいくらでもある気がする。
しばらくは時間を持て余していることだし、好きなだけ泣いておこうと思う。外で泣いたところで誰の気を引けるわけでもなし、迷惑防止条例違反で逮捕されても困るので、我が家で静かにブログの更新をしつつ、今後の過ごし方でも考えてみる。




メンクリに通いたてでいろんな人に迷惑をかけたの話。
感謝してもしれないし、謝罪してもしきれない。


af-doctor.hatenablog.com

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なんだかんだ周りの人に恵まれてるからどうにか過ごしていられる。





ぐれてもぐれなくても名糖の粉末飲料はおいしい。
あぐれ