おかかえのあたま

ぐれたりぐれなかったり

卒業旅行

2012年の12月、ハワイに行った。

卒業旅行である。同行者は高校の同級生。

 

高校を卒業したときから

「大学を出たらハワイに卒業旅行に行こう」

そう約束していた。

 

 

約束は守った。

ただ、わたしのメンタルが最悪だった。

医者からは「行くな」と言われた。当然である。

睡眠が取れない、食事が取れない、正常な判断ができない、そもそも物事の選択・決断がほぼできないのに海外旅行をするなんて気が狂っていると思う。

でも、行かない選択肢はなかった。

 

 

 

お金を払っていたからではない、単に長い間約束をしていたからというわけでもない。

夏のあたりにはスケジュールが決まり、入金も済んでいた。

正直、学生のわたしには少なくない金額だったが、払ったからなんだという話で終わるような額でもあった。

 

ただ、同行者の友人はおそらく違うと思った。これはわたしの妄想も入っている。

友人は大学に進学して少し経った頃、お父様が亡くなった。その電話がきたときは、冗談かと思って「嘘だよね?」と信じられなかった。そんな嘘をつく人間ではないことくらいわたしがよく知っている。

亡くなったお父様はとにかくいい人だった。不謹慎と言われようが、なぜ我が家の父親ではないのか、なぜあんなにいい人を、そんなことばかり考えていた。いつだっていい人は早く亡くなってしまう気がする。こんなことは不公平極まりない。事実だから仕方がないなんて思えなかった。

 

詳しいお金のことはもちろん聞かないし、聞けなかったが、そのあとは奨学金を借りたり、生活費のためにいくつもバイトをかけ持ちしたり、口には出さずとも友人が経済的に余裕のある状況ではないことくらい馬鹿なわたしにもわかった。

 

卒業旅行の資金、どんな苦労をして貯めたのか、傲慢かもしれないが友人が初めての海外旅行をどれだけ楽しみにしてくれているのか、勝手にそんなことを考えていると絶対に行かないという選択はできないと思った。

難しい問題だった。

 

友人には通院のことを話していなかった。

というより、通院し始めてから1週間も経っていなかった。

旅行までに話すかは本当に迷った。食欲どころか意欲がなかった。

抗うつ剤も飲み始めたばかりで体調も良くなかった。

時期的には最悪だったと思う。

 

でも、やっぱり友人を悲しませるようなことはしたくなかった。できれば気を遣わせることもしたくなかった。

迷いに迷った挙句、空港に向かうバスの中でかなり婉曲して自分の状態を伝えることにした。友人は静かに聞いてくれて、本当にこんな状態になってしまった自分が情けなくて気を遣わせてしまうことが申し訳なくてバスの中でも涙が止まらなくなった。今でもあのときに言うべきじゃなかったのかよくわからない。

着いてから話しても話さなくても、どこかでバレていたかもしれないし、話さなくて信用されてないと思わせてしまっても云々どうでもいいことがたくさん頭の中で渦巻いていた。考えたところできりはなかった。

 

 

 

現地についてから2日はそれなりに楽しむことができた。食事の量は今までにないくらい少なく、友人を心配させてしまったし、途中で頓服を飲んでいるところが見付かって、これも心配させてしまった。本当に申し訳なかった。心の弱いわたしが悪いだけだった。

 

3日目、どうしても外に出られなくて泣いた。友人にはひとりで観光してもらった。夕方頃に戻ってきた友人は「もし食べられたら」とマラサダを買ってきてくれたが、それも食べることができなくてまた泣いた。友人の優しさを無碍にしてしまう自分を責めた。

もし、もう少しだけ発症が遅ければ、卒業旅行であんなに友人に気を遣わせたり、ひとりで外に出してしまうような時間もなかったと思う。たらればなんて考えたところで仕方がないのはわかっていても、これを悔やまずにはいられなかった。

 

4日目以降は正直何をしていたのかよくわからない。多少取り戻して外に出ていたのかもしれないし、出られなかったのかもしれない。

帰りの飛行機の中、眠る前に友人に「もう少し元気になったらハワイ旅行のリベンジさせてね」と伝えた。友人とまたハワイに来る約束をした。

 

結局、それから各々社会人になり、なかなか休みが合わずまだ実現していないものの、いつか寛解している時にまた一緒にハワイに行ってゆったり海辺で過ごせたらいいなと思う。

 

 

 

あれからいっぱい心配かけてごめんね。

 

 

 

 

 

 

ぐれずに済んだのは友人に恵まれたから。

あぐれ