おかかえのあたま

ぐれたりぐれなかったり

うまくいかない気分のときの話

今である。

 

 

 

薬が切れたのか、何かしらの病気で免疫が下がっているのか、そういう気分の波の時期になったのか、まあ理由はなんでもいい。とにかく何を考えてもうまくいかない気分になってしまうときがある。抗不安剤、安定剤を飲んで症状が落ち着けばそれはそれでいい。対症療法万々歳だ。問題は飲んでもいうほど効果が出ないときである。

かなしきかな、自律神経の乱れからくる諸症状は「これ!」という治療法が存在しない。どの医師も「適切な睡眠、休息、運動、栄養補給となにか楽しめるものがあればそれをする」くらいのことしか言わない。というか、実際にそれしかないと思うので彼らの主張には全面的に同意する。わたしも一応、睡眠を取るように心掛けているし、運動も栄養補給も、その他自分の興味の向くことはしているつもりである。

ただ、自律神経が乱れたままだと、どうしても睡眠は短くなりがちで、運動をしても疲労の持ち越しが恒常的になり、蓄積した疲労は無視し、食事をとっても喉や胃の不快感で気分は最悪ということがざらである。自律神経を整えるためにやりたいことが何一つうまくいかないストレスでまた調子が狂い、何もかもうまくいかないという感情に支配される。我ながらもう少し手を抜いて生きてほしいものである。

 

どうせ治らないと思ってしまえば、それはそれで楽であるし、現状そこそこの量の薬の世話になって生活を成り立たせているので、自分でどうこうすることを諦めてしまうのもひとつの処世術であるように思えてくる。くだらない焦燥感や灼熱間、不安感、喉の違和感、食事の有無に関わらず唐突にくる吐き気や胃の不快感、首肩の痛み、感情や声をうまく出せないもどかしさと絶望感、まあこんなものと一生付き合っていくくらいならやはり一層のこと死んでしまうが吉ではないのだろうか。

現実的な計画は何一つないものの、調子のいいときでさえ線路内に飛び込みたくなる衝動や、ネットの張られていない非常階段を見かけるとなんとなく落ちていく自分のイメージをしてしまいがちである。電車の飛び込み、建物からの飛び降り、まあそれなりに迷惑な方法だろう。よくわかっている。死んだあとも見知らぬいろんな人たちに罵倒され続けるのだろうが、死んでしまえばこっちのもの。わたしが認識、知覚できなければ、それは無と同義なので飛び込み飛び降りをして死んだわたしを罵倒できる人間は世の中に一人もいない。無論、死人に口なしなので以降症状や気に食わない事象に悪態をつくこともなくなる。世の中が正に少し傾くのではないだろうかとさえ感じる。

 

ここまで書いて、結局薬の効果はあまりなさそうな雰囲気なので、今日のところは大昔に処方されていた眠剤も飲んで起きていることから逃げる選択をしようかと思う。ODするつもりはないので眠れて5時間かそのあたりだろうか。現実逃避するにはあまりに短く、無駄な気がする。

 

飲む予定は

通常処方のマイスリー10mg

ワイパックスデパスいくつか忘れた

手持ちのサイレース2mg

これで眠れなかったらもう仕方ないから、次の診察のときにサイレースと共にドラールか何かでも出してもらうことにする。

 

 

 

 

 

馬鹿みたいに薬を飲んで脳みそどころか肝機能もそろそろ結構来てるんじゃないかと思う。飲まなきゃ健常者の真似事ができないなら、飲まずに死んだ方が楽…。結局、いつでも思考の行き着く先はこれである。

 

 

 

 

とりあえず水浴びしてから薬飲む。

 

 

 

 

ベゲタミン全部飲んじゃおっかな。