おかかえのあたま

ぐれたりぐれなかったり

最近の銀座の話

我が家の金魚である。

 

 

銀座、オスかメスかは知らないが、便宜上彼女としておこう。

我々は同居し始めてかれこれ2年かそれくらいになる。とりあえず冬は2度越えているはずである。

 

 

いつぞやに書いた記事にもあるように我々は当初室内で同居をしていたが、なかなかに彼女がわがままなので外に追い出した。結果、お互いに半別居という形を取ることで仲良く暮らしている。

ここのところは暑いので毎日水を30ℓ程度替えつつ、適当な浮く系の水草でも入れてやるかと思っているが、暑さにかまけて出来ていない。アマゾンフロッグビットあたりが安くて勝手に増えてくれるのでとてもいいのであるが、下手すると彼女の餌食になってしまう。アマフロは平気な方だが、繊細な水草関係は彼女のおやつである。

 

 

 

金魚のいいところはとかく人間と交わることのない存在というところである。水の中でしか生きられないものと、空気・特に気体の酸素がなくては生きられないもの、同じ家に住むというのもまた奇妙なものである。

話は通じているのかいないのか、まあ人影が見えれば水面に寄ってくる姿はさながら餌を強請る猫であり、触れられない分、愛しさはひとしおである。

 

 

書いたところでどうせ伝わらないだろうから構わない。

金魚に関しては珍しくわたしの中で「要るもの」に分類されている。

水槽の中で飼われなければ、綺麗な朱色を保てない、餌を自ら得ることもかなわずまるで実家にいた頃のわたしを見ているようで清々しい気分になる。なんとも表現し難いが、過去の自分に似たものはとかく好みがちである。

歪んだ愛情をこれからも彼女に注ぎ続けるだろう。彼女は当時のわたしに似ている。

 

 

 

 

そんなところで、夏祭りの金魚ちゃんはちょっとかわいそうだよね。

 

 

 

 

用意は周到、準備は万端、賊は須らく殲滅すべし。

分相応な人生を。

あぐれ