おかかえのあたま

ぐれたりぐれなかったり

金魚の話

いつぞやの記事にも書いたように金魚を飼っている。

 

我が家の金魚は琉金である。赤白のコントラストがきれいだ。名前は銀座とつけた。気が強くて美しい。それにわたしの飼う金魚にしてはそこそこ高かった気がする。ピラニアの餌用金魚が1匹10円くらい、銀座はその50倍はしたと思う。正直なところいくらかは忘れた。

金額の多寡が愛情ではない。しかし、こいつの金魚鉢、もとい睡蓮鉢は高かった。我が家の家賃と同じくらいした。まあ、5年10年住むと思えば安いものである。金魚鉢に更新料は要らない。

 

今日は朝から金魚鉢の掃除をしていた。昨日のうちから浴槽を洗い、気が遠くなるまで水で流した。また気が遠くなるまで水を垂れ流しながら溜めた。気絶するかと思った。冗談はこれくらいにしておく。

前日夜に水を溜めておくのは水道水のカルキ抜きをするためである。市販のカルキ抜き剤を使ってもいいところだが、我が家は毎日30リットルずつ水を換えている。とてもじゃないが、カルキ抜きなんて買っていたらわたしが飯を食えなくなる。そうすれば、金魚諸共一家断絶だ。それだけは避けねばならない。末代まで呪おうぞという類の未確認物体たち、わたしが末代だから関係ない。いい加減に黙りたい。

 

さて、金魚鉢の掃除の話だ。

正直なところ、掃除は必要ないと思っている。2年ほどかけて金魚鉢の中には金魚の大好きな藻類とバクテリアでいっぱいにした。水が緑色に見えるのはグリーンウォーターという青潮的状態だからである。グリーンウォーターになってしまえば、極論水換えなし餌やりなしで金魚が勝手に生きていく。金魚だけでなく、めだかでも何でも草食可能な淡水魚なら勝手に生きていくだろう。問題はこの青色水は見栄えが悪いということである。金魚を思えば、見栄えがなんだという話だ。わたしは基本的に金魚第一主義なので水の見栄えがなんだろうが、金魚鉢や玉砂利に苔がいくら生えていようが全く構わない。

グリーンウォーターであれば、金魚の食べかすや排泄物も藻類だか植物性プランクトンだかが勝手に分解して、勝手に水質を保つ。日光に当たれば光合成もする。つまり、エアレーションも必要ない。とはいえ、夜になればこの青色水は呼吸しかしなくなる。要するに二酸化炭素で金魚鉢がいっぱいになる。1晩で酸欠ということもないだろうが、夏場は基本的に30リットルずつ水を換えて空気を含んだ水でかき回す。まあ、世話をしている雰囲気を豪快に出しているというわけだ。雑でも強く生きてくれてありがとう。

 

掃除が必要ないものの、なぜ掃除をしたのか。

答えは単純明快で手っ取り早く世話してる感を出すためである。誰へのアピールなのか、アピールする人間はいない。金魚も狭いところに移動させられてさぞかし迷惑だろう。飼い主の運が悪かったと思ってここはひとつ我慢してほしい。

もちろん、わたしの勝手だけではない。金魚鉢の中の死んだ苔を半分くらい取り除いて来るべき夏に備えて新しい苔の生える余地を作るためというのが大きな理由だ。しかし、これがなかなかどうして楽な仕事ではない。そもそも鉢だけでわたしの体重か、それより重いのだからひっくり返してどうこうできるわけがない、中に水が入っていれば尚更である。今更ながらによく我が家のベランダの底が抜けなかったとこの集合住宅の設計、建築をした建築士と大工をほめたたえたい。建築関係の知識は皆無だが、こんな馬鹿が規格外のものを置いても多少どうにかなるくらいには頑丈に設計されているらしい。

 

話がずれた。結論から言うと今日の掃除は4割くらいで断念した。そもそも水を減らせど減らせど金魚が捕まらない。水を減らして苔を取り除くはいいものの、地底の砂と玉砂利をどうにかしたい。やればやるほど欲が出てしまう。無論、きれいにしすぎれば水質の変化に対応できず、金魚が死ぬ。こいつらは同じ水に放り込んでおけば茹でるかカラスにでも食われない限り丈夫に育つものの、水質水温の変化にはべらぼうに弱い。変温動物なのだから仕方がないという話だが、2年放っておいていじくりまわした挙句に死なれてもわたしの目覚めが悪いというものである。

 

そんなところで、とりあえずあれこれ完璧にやりたくなる前に一旦掃除を取りやめた。とはいえ、掃除途中の意味不明なところに金魚を放り込んで殺すわけにもいかず、今日は金魚用の米びつに入ってもらっている。容量およそ4リットルの狭小住宅だ。東京のペンシルハウスを思わせる簡易な寝床でこの金魚には謝罪の言葉も見付からない。広いところから狭いところに移り住むというのは著しいストレスが溜まる。田舎出身のきちがいほどに部屋数の多い家に住んでいたわたしが言うのだから間違いはない。話を盛ってしまった。実家は8LDKである。部屋の多さは正直わからない。

米びつ金魚をさすがにベランダに出しておくわけにはいかず、今は2年ぶりの同棲生活となった。真面目な話をすれば、金魚鉢ほどの容量があれば朝晩の気温の変化が多少激しくなろうとも陶器と内部の水の多さから水温自体の変化は非常に緩やかである。端的に言えば、金魚にやさしい住居になっている。

一方、今致し方なく放り込まれた米びつはと言えば、たかだか4リットルのプラケースであり、外気温がダイレクトに水温に反映されてしまう。金魚でありながらホームレス並みの生活を強いられる苦行スタイルが米びつである。

※我が家には45cmと60cmの水槽もあるが、これを使うと100%使用後に別の生体を買ってきて増やしてしまうので心を鬼にして、今回は米びつ金魚になってもらった。

 

 

 

米びつ金魚もメリットはたくさんある。まず、持ち運びが格段に便利だ。プラケースなので上見だけでなく、横見もできる。我が家の金魚は三つ尾で紅がよくのっているので、正直上見だけで充分である。江戸の金魚というやつだ。

ちなみに金魚鉢のときもそうであるが、外でぼんやり金魚を眺めると言っても、基本的には金魚を凝視しない。金魚とはいえ、一介の同居人である(人か?)。私生活をじろじろ見られては居心地悪いことこの上ないだろう。見るのは大抵青緑色をした水面である。大体、金魚が見える方が少ない。米びつ金魚になってしまった今、見放題は確かにそうだが、そんなことはペットショップで「ねえ見て!あのトイプーかわいい!」とでも言いたい女だけがやればいいのだ。わたしがすることと言えば布団の隣に米びつを置き、米びつを倒さないようにだらだらブログを書くことだけである。

目の端にくねくねと泳ぐ米びつ金魚は愛らしい。

 

 

 

 

これは当然の事実であるが、もちろん金魚も昼寝をする。昼寝の姿勢は個体差が激しい。ものの陰に隠れるように昼寝をする個体をいれば、水槽中部で動かなくなる個体もいる。我が家の米びつは頭を若干下にして斜めになって昼寝をすることが多い。そんなに脳みそが詰まっているようには見えないが、それが寝やすいのならわたしが文句を言う筋合いもないので好きにさせておく。

 

今となっては米びつ金魚のかなしき汚名を着せられるままになってしまったが、かつて金魚鉢に追いやられるまでは室内飼いのお嬢様だった。90cmの水槽に黒らんちゅう、コリドラス、極楽ハゼと共に米びつをてっぺんとしたヒエラルキーの中で悠々と生活していた。

平穏な日々はそう長くは続かない。十分な量の餌を与え、水草を配置し、流木や溶岩石の類も入れた。しかし日に日に水槽内の人口(人か?)は減っていく。犯人は探すまでもなく米びつだった。

和金と入れたら一発で負けるであろう米びつが90cmの大豪邸を独り占めしにかかったのである。気付いたころには時すでに遅し、存命だった黒らんちゅうを隔離したものの、介抱むなしく鬼籍に入ってしまった。仕方がないので米びつの楽園を作ってやるべく金魚鉢と共に外に追い出した。

 

 

 

 

調子に乗って書いていたら3000字を超えてしまった。

米びつの続報はまた金魚鉢の掃除が一段落した頃にでも書くとする。

 

 

 

 

 

ぐれているのは米びつと呼ばれている金魚。

あぐれ