おかかえのあたま

ぐれたりぐれなかったり

両親の話

たびたび壮絶にディスられつつも登場するわたしの両親であるが、もう5年ほど会っていない。最後に見たのはいつだったか、それすらもよくわからない。

まあ、「でぃすいずらぶ」というところだ。何かに言及するのには愛が要る。正確には書き殴る程度の熱量が要る。

 

 

 

 

わたしは今のところ、これから15年は帰るつもりはない。そして、できれば帰らぬうちに彼らが死んでくれていたらいいのになと思う。これは純粋な死を望んでいるというより、老いていく両親を見たくないのである。要するにわたしのわがままだ。

あれだけ好き放題されてきて、順当に老いて弱る両親など見たくないのだ。老い弱る前に散ってほしい。枯れ際のきれいな人たちではないと思う。きっと全力でもって周囲を困らせ、翻弄し、自己の幸福の最大化をはかるだろう。そうでなくとも、彼らはいつでも子どもなのだ。子どもが老いたらどれだけ面倒か、想像に難くない。

 

 

 

さて、両親であるが、そこそこの交際期間を持ちながら、わたしという長子を授かったために入籍に至った。要するにデキ婚であった。しかしながら、母には当時寄り道もとい、同時進行をしていた男性が他にいた。個人的にわたしの種はその男性由来のものなのではないかと疑っているが、今更血縁のある父親とのDNA検査云々というのも、金と時間の無駄だと思うのでやらない。違ったことがわかったとして、わたしの幼少期は戻ってこない。また、どうでもいい事実を突きつけられたとして、父親はそれを理由に母親と離婚でもするだろうか、(既にしているという説は置いておいて)わたしに金をかけたことを後悔するだろうか、いずれにせよわたしの目覚めの悪くなることなので、そんなことはしない。

 

世の中なんでも知っていればいいというものではないのだ。

 

 

 

わたしの中の両親は若く美しかった。子どもの贔屓目を差し引いても美男美女であったと思う。もちろん、それぞれが年を重ねるごとに老いはするが、弱りはしなかった。彼らが子どもだったからだと思う。

いつだったか45前後の母親を見たとき、わたしはもうこの人たちの老いる姿を見たくないと思った。30代でとっくに来ているはずの老化を何らかの力でごまかし続けた母親は年齢の割に若く見えるものの、かつて友人皆に自慢できるくらい美人な母親がそこらへんにいる疲れた普通のおばさんになってしまっているように見えたからである。また、似た時期に見た父親は子どもが全員一人暮らしをしてあまり家に寄り付かないせいだろうか、それともわたしが大人になったということであろうか、あんなにも怖くて全てを圧倒させ、強く、要らぬ逞しさのあった父はその面影もなくなっていた。誰がどう見たって心臓と肝臓を悪くした中年男性だった。そう、彼らは老い、弱り、当然わたしと会わない時間も少しずつ歳をとるのである。かなしきかな、わたしはそれを直視する勇気も慈悲も持ち合わせていない。

 

親不孝を承知で再び言うと、やはりわたしが帰らぬうちに死んでくれていた方がきれいな彼らを保存しておけるので、そうなってほしい。実家にいるときはつらく、苦しいことがたくさんあった。横暴な両親に対して常に嫌気が差していた。それでも、彼らをまともに見ることが出来たのはひとえに彼らの容姿のよさがあったからだと信じている。勝手をするのは自由だが、わたしの記憶の中では永遠に若くきれいなままでいてほしい。両親への要望がまるで恋人のようで我ながら苦笑してしまう。

 

 

 

両親の話と銘打ってはみたものの、なぜわたしが帰らないのかという理由ばかりになってしまった。まあ、彼らは彼らのベストを尽くしたのだろうし、わたしも子どもながらに努力はした。相性がよくなかったのか、わたし自身が彼等のゲームに強制参加させられていることが気に食わなくてそれがバレていたのか、他の要因があるのか、複合的かもわからないが、今となってはどうでもいいことである。医者からは帰るべきではないと言われているし、わたしもわざわざ帰ってつまらないストレスを溜めるのは御免こうむる。

 

わたしはこれからも薬を飲む。健常以下に戻るために淡々と薬を飲む。誰を恨むわけでもなく薬を飲み続ける。とは言うものの、こんな脳みそにしたくせに自分たちだけ人並みに老いていき、それを見守ってやるなんてしたいと思えない。やはりわたしは彼等を許せないのかもしれない。

 

 

 

 

過去の記憶に縋りつかなきゃ生きていけないほど弱くはないけど、終わりの見えない通院と投薬には疲れたし、飽きてきてしまった。

 

 

 

 

 

安全地帯ができる日はくるのかな。

 

 

 

 

 

安全地帯を作るための手順が複雑すぎる。

ぐれそう。

あぐれ