おかかえのあたま

ぐれたりぐれなかったり

軽躁にかまけての話

面接に行きまくった。

 

 

 

 

 

多い日で1日3箇所の面接、1回しか入れていない日は別のアルバイトというよりフリーランスでやっている案件で時間を潰していた。

さて、無職無職と書いていたが、フリーランスで何かをやっているのかとなってしまうが残念なことに何かをやり始めている。フリーランスと言えば聞こえはいいものの、単純に業務委託であり、「お前が勝手にやってくれ」という内容なので自由にやっている。

 

 

さて、軽躁にかまけて何をしていたのかと言えばとにかく面接に行き、エントリーシートを書き、履歴書、職務経歴書を練り、職場の見学に行ったりもした。

さながら氷河期世代の就活である。

 

 

本件に関しては友人知人に相談もした。もちろん彼等彼女等からは止められたが、わたしの行動は止められなかった。

軽躁もそうだが、半分くらいは貧困妄想がひどく、とにかく金が必要だと信じ込んで気が狂いそうだった。どちらかというと気は狂っていた。

 

頭がおかしいのはわかっていてもやめられない。人並みであるために、うつ転したときのために、健常者のふりをしていたいがために、金が要る。

金の余裕は心の余裕である。これは紛れもない事実で、実家にいた頃、我が家の経済力が底辺だったらわたしは100%グレていた自信がある。ギリギリで踏みとどまれたのはとにかく経済的に困窮したことがなく、望めば大抵のものが手に入り、正直なところ、玩具や書籍の類の購入を制限されていた家庭で育った方々の気持ちはわからない。で、わたしがわがまま放題育ったかと言えば、今の慎ましい生活からもおわかりかと思うが、言うほどほしいものもなかったし、読みたい本は図書館で調達できたし、衣服の類は母親が好き勝手買ってきていたのと興味がないのとで想像しているほどは豪遊していたわけではない。

まあ、兄弟の方が好き勝手金を使って生きていたと思う。

 

 

 

本筋に戻そう。

軽躁と貧困妄想が合わさると最悪な結果になる。過剰な労働に時間を費やし、文字通り身を粉にして金銭を得ようとする。

日本人的に勤労自体は賛美され褒められるべきものかもしれないが、過剰というのが困りもので、後々に問答無用のうつ期がくる。この時期には働けないどころか、発話困難、思考の鈍化、活字の認識もままならず、そもそも食事もできないのである程度の蓄えが必要となり、やはり働けるときに働いておくかという焦燥感でいっぱいになる。

 

難しい。軽躁で働きすぎなければうつも軽いのか、まだわからないのだ。とりあえず貯め込んでおいて損はないという馬鹿の一点張りで金銭を得たい。となる理屈で堂々巡りになってしまう。

 

 

 

そんなところで、書いても仕方のないことである。

 

 

 

用意は周到、準備は万端、気合いと勢いだけじゃだめなお年頃。

分相応な人生を。

あぐれ