おかかえのあたま

ぐれたりぐれなかったり

お酒の話

アルコールについてである。


基本的にお酒は飲めるが、極力飲みたくない、飲めないふりをする、ということが多い。
理由はとにかくアル中だった父親を思い出して最悪の気分になるからである。ゆえに自宅にも嗜好品としてのアルコールは置かないし、無論宅飲みもしない。

成人してからというものの、やたらと飲み会が増えた。まあ、アルコール解禁になるため、当然といえば当然である。
ちなみに心療内科に通院する前もやはりお酒はすきではなかった。すきではない理由は単純に飲む理由がわからないからである。
下戸ではない。ただ、飲んでも楽しくないのだから飲む意味はやはりわからない。

さらに心療内科に通い始めてからは薬の効果が強く出過ぎてしまう関係で余計に酒類を飲むことがいやになった。
自分の許容量がわからなくなることが苦痛のためである。
会社関係の飲み会は致し方なく乾杯だけ付き合うことにしているものの、正直なところ私的な用事はあまり飲みたいと思えないのがここ7年くらいの状況である。


大人になって「遊び=飲むこと」になってしまった友人も何人かいる。この類の友人らとはなんだかんだと理由をつけて疎遠になってしまった。いちいち薬の服用を説明することも面倒であるし、現場でアルコールを勧められて断るのもまた面倒である。



こんなことなら中途半端に飲酒のできる人間ではなく、はじめから下戸でありたかったとさえ思う。
わたしは人並みに飲酒ができるものの、きょうだいやアル中の父親、母親は下戸である。父親はアル中だから正確には下戸ではないのかもしれないが、飲んで顔が赤くなる時点で下戸でよい。そういう輩は飲まなければいいだけの話なのに飲酒に逃げる弱さなのか、逃げなければやっていられなかった環境なのか、とにかく実家の人間の中でまともに飲酒をできるのはわたしだけである。
まあ、これはいつぞや書いたかもしれないが遺伝云々の話になってしまうので割愛しておくことにする。



ときどき飲酒をしている人間が全て父親に見えてしまう。酒が飲めるということはアル中になる可能性があるということであり、アル中は半分人間ではないのでわたしはそういうものを見たくない。
とにかくほぼ10割方父親のせいで酒がきらいになったというわけである。

喫煙に関してはそこまで気にならなくなってきたが、パチスロ関係もあまりすきにはなれない。
どれもこれも父親がやっていたことで、趣味で楽しんでいる人に罪はないが、すきではないものを否定される筋合いは無いので、そのあたりはしばらく変えられそうにない。
この歳になっていまだに父親の呪縛から逃れられないのも我ながら情けないと思う。心療内科でよりよい認知行動療法でもしてくれれば少しはまともになるかもしれないが、時間がかかって仕方ないだろう。



何が言いたいかと言うと、頭の中が酒の割合の高い人とはなかなか仲良くなりたいと思えないということである。



酒好きもわたしとわざわざ仲良くなろうとは思わないだろうから、棲み分けということでよいと思う。




そんなところで。






久々の夕立はお出かけ前の道路の換気。