8月になってしまったの話
通りで暑いも暑いで皆一様に死にかけているわけだ。
8月になったということはわたしの無職期間もまる7ヶ月過ぎたということである。
過ぎてしまえば存外に早いし、無職は無職でそれなりに余暇を楽しんでいる。なんせ美容室、ネイル、エステのモデルから、試写会に足を運び、友人知人とくだらない遊びをし、最近はやたらと本も読み始め、暇を潰すには事欠かないというのが現状である。
金はあるのか?愚問である。
なければ首でも括ればよかろう。
1年程度の無職をする程度の金はいつだって備えておくのが社会人、というより日本人の性というものではないだろうか。勿論、全員に当てはまるとは思っていない。涅槃に日本円が通じるかは不明なので、あるだけ使い切ってしまうという生き方もまた有意義であるように感じる。
人間など積極的に自死を望まずとも、交通事故や急病、階段からの転落だの唐突な死というものは避けられないのだから、貯め込んでおいてなんなのだという主張はよくわかる。わかるが、わたしはそれでもそれなりに備えておきたい宗派なのだ。
要するに宗教と同じで、相手方に無理強いせず、やりたいやつらは各々が勝手に迷惑をかけずやればいいだけの話である。恋人やら配偶者なんかはこのあたりの宗派が似たような人間でないと、価値観の擦り合わせに苦労するだろう。部屋の許容できる清潔度の範囲なんかもこれにあたる。
何を書いているのか、8月の話だ。
いよいよ夏も夏で、夏真っ盛り。
皆々様におかれましては海だプールだ祭だ花火だビアガーデンだキャンプだバーベキューだお盆だ帰省だなんだと忙しそうであるものの、わたしにはほぼほぼ関係のないことだらけである。
強いて言えば、花火か祭に浴衣で行くかどうかという話が出ている程度で、盆の類は関係がない。帰りたいやつは勝手に帰ってくれ。わたしには帰るところがない。
というと、まるでお通夜のような雰囲気が出てしまうが、無職というものは毎日が帰省のないお盆のようなものでそれなりにお盆はお盆で楽しむつもりである。
ここのところは完全に軽躁がキマってしまっていて、無職であるにも関わらず日々人生の最高値を更新し続けているような感覚に陥っている。まあ、楽しいという点では悪くない状況であることが伝わればそれで充分だ。
そんなところで、塩分と水分補給をしっかりと。
ぐるぐるめまいと熱中症。
あぐれ