うなぎをたくさん食べたの話
神泉にある例の店である。
この日はうなぎのコースを予約していた。
昼から手抜き一切なし、本気のうなぎ尽くし。
これを贅の極みと呼ばずに何を贅の極みと呼ぼうか。
お手軽なブルジョワごっこができるのである。富豪か、最高か。
両方だ。
まずは果実酒のソーダ割で乾杯し、お通しの骨せんべいを食みながら近況を報告しあった。骨せんべいがおいしいのでおかわり自由だとうれしい。
次に出るはうざく、煮こごり、うまき、白焼き、湯引きを一旦通してからの肝吸いうな重香の物である。途中2杯目を各々種類の違う梅酒のロックで飲み比べた。まあ、こういうときは日本酒か何かとうなぎを食べられればお店側としても本望なんだろうが、自分の金で飲むなら断然甘い酒である。砂糖は正義なのだ。
最後は抹茶のアイスで締めた。おいしかった。
同行者は完食していたが、わたしはどうしてもうな重を半分食べるくらいでキャパオーバーになってしまい、残りは包んでもらった。帰宅してから、深夜に思い出して持ち帰ってきたうなぎを食べていたが、やはりおいしかった。
多少太ろうが、その日は1日うなぎの気分を保ったまましあわせに終えることができた。最高だった。
うなぎ屋でコースの内容を見ると、大体「お造り」やら「鶏串焼き」やらが途中参加してくる。我々はうなぎだけを食べたいのだ。他の魚や、ましてや鶏なんて言語道断。たらふくうなぎを食わせろという話において、邪道中の邪道である。わたしが神なら地獄に落としてしまうだろう。この日近辺はそれくらいうなぎ欲が高まっていた。
総論としては、いいうなぎであった。
働き出したら、またうなぎのコースを食べに行きたい。
財布へのダイレクトアタックは免れないが、それを上回る満足度がそれにはある。
貧民だってたまには贅沢したいのだ。
絶対にうなぎが絶滅するまで食べるのをやめないことを決意した。
(絶滅したら食べられないのでやめざるを得ない)
ぐるぐる経済活動。
あぐれ