おかかえのあたま

ぐれたりぐれなかったり

好き嫌いの話

食べ物でもなんでもいいのですが、好き嫌いの話。

 

小さい頃、驚くくらいの偏食だった。基本的に肉魚野菜は食べたくない。親も親で食べるものばかり与えるものだから、どんどん太る。主食はオレンジジュースとチョコレートだった気がする。歯医者に行くと怒られた。母親も怒られていた。いつからか付き添わなくなった。当時の歯医者は容赦がなかった。

 

一人暮らしをし始めてから、食べられるものが増えてきた。正確には増やす努力をしていた。米と豆腐だけ食べても生きていくことはできるものの、僅かにいる友人知人に気を遣わせるのもすまない、そんな理由だった。

 

今では基本的になんでも食べるようになった。苦手なものはある、食えと言われても幼虫系のものは無理かもしれない。食べる機会が極端に少ないもののことは気にしても仕方がない。肉と魚を食べることが出来れば日本の飲み会はどうにかなる。

 

飲み物の好き嫌いもすごかった。まず砂糖の入っていないお茶は飲まなかった。紅茶はもちろん、実家では麦茶緑茶ほうじ茶、何にでも砂糖が入っていた。見方を変えれば完全な虐待である。今となっては砂糖入りの麦茶と緑茶は遠慮したいところである。海外に行ってお茶を買って甘味がついていたときの絶望感ときたら…人はかわるものである。

そういえば、名糖の粉末レモンティーがなくなった。あまりに短い命だった。わたしは明日から何を飲んでいきていけばいいというのか。

水とはとむぎ茶である。また元気に電気ケトルを爆発させる生活が始まる。

 

 

 

話を戻して好き嫌いのことである。

社会人になるくらいのタイミングで友人もほとんどが「これ食べられるようになった」云々言っていた。まるで示し合わせたかのようにくだらない選り好みをしなくなった。我々は確実に大人になっていった。

 

そんな中、相変わらずものすごい偏食の友人がそのままだった。彼女の嫌いなものは多岐にわたる。きのこ、たまねぎ、ピーマン、にんじん、マヨネーズ、貝類、生魚、シナモン、その他辛いもの、たまご、他にもあった気がするけど、忘れた。

いつぞや我が家に泊まったことがあった。とりあえず夕飯の用意をした。「あるものなんでも食べるよ」そう言われて何かのスープと野菜炒めを作った。見事に野菜をすべて残され、世の中の野菜嫌いの子どもを持つ母親たちの苦悩が少しわかった気がした。

 

 

まったく根拠はないが、体感として好き嫌いの少ない人間の方が就職しやすいように思う。好き嫌いが少ないor減らす努力ができる人間は、企業の意向を汲んで面接対策をするから?等々考えたが、まあ根拠はない。

転職が上手くいった奴等も大抵なんでも食べるような子だった気がする。あくまで体感としてそんな気がするというだけの話であり、わたしはいまだに無職である。

 

仕事に関しての好き嫌い…

さて、どうだろうか。なんでもやりますと言えば大嘘になる。

営業はやりたくない、金融機関は興味がない、IT系は知識がない。選り好みしていると言えば確かにそうだ。30近い女性を無知識で採用する企業があったら教えてほしいところだが、わたしの興味関心とまったく一致しないとお互い苦しい思いをするだけだろう。

興味はないが中国語でもやっておくか。会話ができずとも読み書きができれば選択肢は多少広がるだろうか、とりあえず明日から押入の中で強制冬眠させられているテキストを眺めることにする。できるかできないか、続くか続かないかはわからない。字を読むことが嫌にならない程度に取り掛かろうと思う。

 

 

 

大枠に戻る。好き嫌いの話である。 

食べ物に関してはまあそれなりに克服も許容もするようになったわたしだが、人間に関してはなかなか難しい部分がある。

もちろん、こういう質の人間なので自分が苦手だと思った人間には自ら近付かない、連絡を取らない、関わらないを徹底している。無用な諍いや感情の齟齬は避けたい。そもそもわたしが面倒だと思うやつにプライベートで時間と精神をすり潰してわざわざ関わる必要があるのか、答えは否。そんなことはドMか、自身の成長を望むやつらが勝手にやってくれ。わたしはおだやかに過ごしたい。

 

苦手なやつらのことを考えていた、

大抵は「自分の話ばかりしたがる」「予定を詰めるときの返信が遅い」「遅刻をする」そんなところである。要するにまともなひとなら苦手ではない。苦手ではないだけで、好きかはわからない。最低限の部分の話である。

 嫌いなやつは「怒鳴る」「物に当たる」「声が大きすぎる」あたりだろうか。死ねとまでは言わないが、消え失せろとは思う。やさぐれるときもある。消え失せてほしいやつらが前の仕事では多すぎた。動物園か何かに通っているのかと思った。まあ、今そんなことを思い出しても致し方ないが、無論2度と会いたくないような人間が大量にいた。やめてよかった。

今の生活は概ねおだやかだ。

 

 

 

何をもって好きと判断するか。

これは難しい。指標がない、そもそもわたしの頭が悪すぎて物事を相対でしか捉えられない節があるので、そのときの状況にもよるところが大きい。

ただ、好きな友人知人の似たところを探してみると

「各々の主義主張がある」「その場しのぎの話をしない」「会話が成立する」

あたりだと思う。

女にありがちな「わたしもそう思う~」ばかり連呼するやつがきらいだ。これは苦手ではなく、きらいだ。そういう処世術があることを否定するつもりはない。ただ、わたしに関わるな、お前のことはきらいである。どんな背景からそうなったか、そんなことは親と恋人にでも相談してほしい、わたしはカウンセラーではない。

 

ああ、あとは脳みその中が恋愛対象で満タンになっている人間も苦手だ。これはもう系統の違いだから致し方ない。おそらくわたしとは相容れないし、わたしの脳みそは粉末飲料と金魚のことでいっぱいである。現実を見れば、躁鬱の薬と安定剤で汚染されている。食べてもたぶんおいしくないと思う。あの手の薬は大概苦い。

 

 

 

 

 

好き嫌いの話はすればするほど敵ができてしまうだけだと思う。なので、ここらへんにしておく。

好きな食べ物はうなぎと焼肉。会社にいるときは経費で食べたいものを答える。

実際は何か、いろいろあるものの、ねるねるねるねはいつでもおいしい。中村屋のどら焼きもおいしい。バターチキンカレーもおいしい。鯛のおすしもおいしい。

世の中にはおいしいもので満たされている。各種メーカーや飲食店の努力には頭が下がるばかりである。現代日本においては、まずいものを探す方が難しいだろう。おいしいまずいは主観によるのでまずいものが多い人は自炊するなり、移住するなりした方がいい。文句を言うだけでは何も変わらない。

 

 

 

せっかくなので作った中でもそれなりにおいしかったパンを載せておく。

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手作りのチョコシートを織り込んだ食パンである。

冷凍可と言われたが、冷凍する暇もなく食べ切った。

暇だし、ちょうど放っておいても勝手によく発酵する季節になってきたことだし、またパンでも焼くか。生地を捏ねくりまわしている間は余計なことを考えなくていいのでよい。

あとは、焼き上がりの香り。

うまく焼けているか、失敗したかわからない、シュレディンガーのパンである。

 

 

 

 

自分の作るものがおいしい人間でよかった。

 

 

 

 

 

24日くらいにぐれないキレートレモンが届くよ。

あぐれ