薬がちょっと増えたの話
主治医は優秀である。
ここのところは下記の通り、行動力・攻撃力共に上がってきている。
自宅待機が難しい程度には軽躁である。
まあ、元気といえば元気だが、メンタルとフィジカルの前借りなのであまりはよくはない。
意識消失とこのあたりの話を診察時にしたら新たにデパケンが加わった。以前に解離が出て意識を飛ばしまくっていたときにも飲んでいたことがある。副作用はあまり感じなかったので、主治医的にも「一旦これにして様子を見ておきましょう」とのことらしい。
現在の処方薬である。
サイレース3mgの効果か、セロクエルの効果かわからないがとりあえず睡眠が平均6時間に乗った。悪夢もほぼ見ない。正直言ってこれだけで人生が最高に思えてくる。わたしはいつだってちょろいのだ。
デパケン、どの程度気を鎮めるのに効果があるのかわからないが、気持ちがフラットに近付いてくれるとありがたい。あまりに波がありすぎてそろそろひとりでサーフィンでもし始めそうな勢いである。無論、日焼けが嫌なので絶対にしない。
処方が半分程度になるあたりでまた働き始めたい。
何が足りないんだろうね。
ぐるぐるニョロモのおなか。
あぐれ
QスイッチYAGレーザーその後の話
掲題の通りである。
過去記事はこのあたり。
現状、3つ打ったホクロのうちひとつが先に剥がれ、残りふたつも剥がれたというところである。色素沈着もなく、それなりにきれいなピンク色をしている。
経過は今のところ順調と言って差し支えない。
もちろん風呂上がりのハイドロキノンは忘れずに朝は起きれば顔を洗って即日焼け止めである。これは日の出ている時間に外に出なくても必須だ。この時期に美容外科のカウンセラーの制止を聞かずにホクロ飛ばしに踏み切った者としては当然である。
ちなみにわたしは一人暮らしを始めたときから、引越しのたびにカーテンを変えるものの、全て遮光一級、遮光率99.99%のもので床に引きずる長さのものしか使わない。ゆえに室内での紫外線対策はそこまで慎重にならなくてはいいものの、念のためである。
そもそも日陰の人間としては昼間の部屋など真っ暗で十分なのである。どうせ外に出れば否応なしに明るいのだ。それなら部屋など暗くしておくくらいで釣り合いが取れるというものだ。
外に出たってわたしは真っ黒な日傘をさす。明るく元気にひなたで生きるようには出来ていない種類の生き物であることがよくわかる。
話が逸れた。
今回で今後10年は当該3ヶ所のQスイッチレーザーをすることはなくなったと思う。今後の経過にもよるが、それくらいは満足した。
美容外科、美容皮膚科の類は自己満の世界で、他人がなんと言おうが、金で自信や自尊心、自己肯定感を買っているのである。わたしも今回のレーザー照射に関して「そんなの気にする必要ない」と言われたが、外野は黙っていて頂きたい(まあ、理解の乏しい人間に話したわたしにも落ち度はある)。本人が満足すれば、何も悪いことなどないのである。
わたしは顔にメスこそ入れていないものの、やりたい奴は気の済むまでやればいい。何ならそれを趣味にしたっていいと思う。そこまで後ろ指を指されるようなことだろうか、煙草や酒が趣味と言う人間の方がよっぽど他人に迷惑をかけ、無駄であることが多いのではないだろうか。世の中の喫煙者と酒飲みに刺されるのでこれくらいにしておく。
自己擁護が過ぎた。
とにかくあとはフラクショナルレーザーを2回程度打てば今年の美容外科は満足といったところだ。
ちなみにわたしは今回のホクロ飛ばしを新宿ビューティークリニックというところにお願いした。宣伝かと思われそうだが、残念ながらキックバックはなしだ。何の得もしないが、勧誘皆無のためよろしくないクリニックではないと思う。気に入ったクリニックのない人間であれば、それなりに安く予約も取りやすいのでおすすめである。
ちょうど1000字くらいなので今回はこんなところで。
ぐるぐる肩甲骨。
あぐれ
あじさいの話
梅雨の季節である。
この前、ハンドジェルのネイルモデルをしたときにあじさいのネイルにしてもらった。月末まではとりあえず気分天気も梅雨仕様である。
個人的にあじさいは割と好きな部類の花で、雨に濡れる姿が素敵だと思う。まあ、傘が好きな人間なので雨でも梅雨でも大歓迎で、雨の季節の花といえばあじさいでそういう繋がりで好きというわけだ。少しいい表現をしてみようか、好きに理由は要らない。
あじさいと言えば鎌倉のなんとか寺が有名だろうが、わたしのおすすめは京王井の頭線の電車内から見えるあじさいの並びだ。確か間違いでなければ夜に東松原のあたりであじさいのライトアップも行われるとのことなので、昼に渋谷か吉祥寺に遊びに行きがてら井の頭線を使い、帰りにも井の頭線に乗車すれば完璧である。
座っていると他人が邪魔で見えづらいだろうから、ちょっとがんばって窓のある位置で立っておいて頂きたい。その分わたしの座れる率が上がる。
あじさい柄ではないが、がまぐちを買ったので載せておく。
こういう色の小物は何歳まで使っていいんだろうか。悩みどころである。
あぐれ心と梅雨の空。
雨のあとには虹が出るかもね。
ぐるぐる虹の根元。
あぐれ
うなぎをたくさん食べたの話
神泉にある例の店である。
この日はうなぎのコースを予約していた。
昼から手抜き一切なし、本気のうなぎ尽くし。
これを贅の極みと呼ばずに何を贅の極みと呼ぼうか。
お手軽なブルジョワごっこができるのである。富豪か、最高か。
両方だ。
まずは果実酒のソーダ割で乾杯し、お通しの骨せんべいを食みながら近況を報告しあった。骨せんべいがおいしいのでおかわり自由だとうれしい。
次に出るはうざく、煮こごり、うまき、白焼き、湯引きを一旦通してからの肝吸いうな重香の物である。途中2杯目を各々種類の違う梅酒のロックで飲み比べた。まあ、こういうときは日本酒か何かとうなぎを食べられればお店側としても本望なんだろうが、自分の金で飲むなら断然甘い酒である。砂糖は正義なのだ。
最後は抹茶のアイスで締めた。おいしかった。
同行者は完食していたが、わたしはどうしてもうな重を半分食べるくらいでキャパオーバーになってしまい、残りは包んでもらった。帰宅してから、深夜に思い出して持ち帰ってきたうなぎを食べていたが、やはりおいしかった。
多少太ろうが、その日は1日うなぎの気分を保ったまましあわせに終えることができた。最高だった。
うなぎ屋でコースの内容を見ると、大体「お造り」やら「鶏串焼き」やらが途中参加してくる。我々はうなぎだけを食べたいのだ。他の魚や、ましてや鶏なんて言語道断。たらふくうなぎを食わせろという話において、邪道中の邪道である。わたしが神なら地獄に落としてしまうだろう。この日近辺はそれくらいうなぎ欲が高まっていた。
総論としては、いいうなぎであった。
働き出したら、またうなぎのコースを食べに行きたい。
財布へのダイレクトアタックは免れないが、それを上回る満足度がそれにはある。
貧民だってたまには贅沢したいのだ。
絶対にうなぎが絶滅するまで食べるのをやめないことを決意した。
(絶滅したら食べられないのでやめざるを得ない)
ぐるぐる経済活動。
あぐれ
スニークプレビューに行ったの話
何が上映されるかわからない試写会のことである。
楽しいも試写会、つまらぬも試写会。
スニークプレビューの「あけてみるまでわかりません!」感は、ガチャガチャかキンダーサプライズ系と同じ高揚感がある。
結論から言えば、大当たりの回であった。
詳しいことは情報解禁前とのことであまり書けないが、秋口に全国公開予定の邦画である。原作を知らないものの(というより知らなかったからか?)、非常によく楽しめた。
なんといっても同行者が寝ずに2時間スクリーンを眺めていた。これだけで相当に面白い部類である。
そして、映像と演出もよかった。音楽のみで比較すれば『羊と鋼の森』に軍配が上がるが、総合値だと相当人気は拮抗するだろう。出演者も芸能人に疎いわたしがわかるような人が何人も出ていたのだから、相当にお得な試写会であった。
これはCMの打ち方によっては正規料金を出して映画館で観るまである作品である。
あまり書くと東宝に叱られそうな気がするのでこの辺にしておく。
今年に入ってからは
さよならの朝に約束の花を飾ろう
ファントムスレッド
と今回のスニークプレビューである。さよ朝は普通に観に行った。
試写会に気合いを入れ始めたのが3月か4月かそこらへんからなので、まあそこそこの打率である。なんと言っても時間のある無職は強い。
毎度書いているが、空飛ぶタイヤを観に行きたい。
タイヤ、見たいやき(ºωº э)З
というところである。失言だ。
まあ、これはふつうに観に行くと思う。
ぐるぐる当たれ試写会の抽選。
あぐれ
1日中のんびりしたの話
非常に難しかった。
ここのところ、軽躁か混合状態でとにかく予定を詰めて外に出て何かをしていないと落ち着かない。やりたいことはたくさん頭の中に浮かんでくる。ただ、身体の疲労は全く取れず、ずっとちぐはぐな状態だった。
この記事を書いている日は、珍しく何の予定もなく(というより入れないようにしていたのだが)、1日中家で身体を休める日にしようと思っていた。冒頭の通り、非常に難しかった。
昼あたりでもう外に出たくて仕方がなくなり、理解のある知人に
「病気の症状だが、外に出たくて仕方がない。今日は家から出るなと言ってくれ」
と連絡をして、その通りの返答をもらえたため、どうにか家の中で過ごすことができた。
自宅でゆっくりしたいという人には全く理解できないことだと思うし、わたしもこうなるまでは土日のいずれかは家でゆっくり過ごしたいという人間だったので、自分でも自分の変化についていけていない。はっきり言って、躁転もうつ転も疲れてしまったし、一人暮らしにも飽きてしまった。
こんな勝手を言えるのは今自分に職がなく、自由な時間が多いからだろうか。できることなら起きてる間はずっと働いていたい。一応、労働に関してはドクターストップがかかっている。大幅に処方が変わったため、少し安定してからの方がいいだろうという主治医の判断である。わたしも確かにそう思う。睡眠時間は以前に比べて驚くほど取れるようになったし、悪夢も見なくなった。ただ、寝起きの持ち越しがややある感が否めない。それでも元気に外出してしまうのだから、もはや手に負えない馬鹿である。
大抵、こういう時期は知らぬ間に脚に痣がたくさんできている。薬の副作用で内出血しやすくなっているのか、軽躁で多少ぶつけても痛みに気付かないのか、もしくはその両方か、いずれにせよあまりきれいなものではないのでどうにかしたい。
生きる意味なんてないよ。
生に縋りたい奴らが必死になって、その理由を探しているのを見ると勤勉さに感心する。
すっぱくてきいろののみもの。
冷えたグラスに氷をたくさん入れて
つめたいケイト・スペード。
あぐれ