おかかえのあたま

ぐれたりぐれなかったり

アイロンがけの話

わたしの数少ない趣味のひとつである。

 

 

アイロンがけをするのは楽しい。しわが伸びて、まっすぐになっていくところを見るのがすきだ。ハンカチや衣服にしわがないと、なんだかちゃんとしてる気分になる。

 

熱いものを押し付けられるのは可哀想な気もしなくもないが、そんなことより早くしわくちゃの状態から助けてあげねばと思う。似た理由で毛玉取りもすきだし、皿洗いや 水周りの掃除なんかもすきだ。まあ、根本的に家事の類がすきな人間なんだろう。まったくもって金にならん。

 

 

物事があるべき姿、語弊をおそれず言うといわゆる正しい姿にしておくのがすきなんだと思う。アイロンがけはそれの最たる例で、手っ取り早く、しかも過程を見つつ正しい姿に直していけるところがいい。熱い金属部分に触れれば火傷をするし、調子に乗ってかけすぎれば焦げるし、アイロンを載せたまま放っておいても焦げるなり火事になるなり、多少のリスクはある。ただ、アイロンがけはそのリスクを差し引いてもありあまるリターンがある。そこらの投信なんかよりもよっぽど信頼ができる。

無論、わたしにとっては、の話である。

 

 

 

アイロンがけから人格矯正云々という話題に飛ばそうと思っていたが、くどくなりそうなのでやめておく。

 

 

 

ぐれたらアイロンがけ。

あぐれ

両親の話

たびたび壮絶にディスられつつも登場するわたしの両親であるが、もう5年ほど会っていない。最後に見たのはいつだったか、それすらもよくわからない。

まあ、「でぃすいずらぶ」というところだ。何かに言及するのには愛が要る。正確には書き殴る程度の熱量が要る。

 

 

 

 

わたしは今のところ、これから15年は帰るつもりはない。そして、できれば帰らぬうちに彼らが死んでくれていたらいいのになと思う。これは純粋な死を望んでいるというより、老いていく両親を見たくないのである。要するにわたしのわがままだ。

あれだけ好き放題されてきて、順当に老いて弱る両親など見たくないのだ。老い弱る前に散ってほしい。枯れ際のきれいな人たちではないと思う。きっと全力でもって周囲を困らせ、翻弄し、自己の幸福の最大化をはかるだろう。そうでなくとも、彼らはいつでも子どもなのだ。子どもが老いたらどれだけ面倒か、想像に難くない。

 

 

 

さて、両親であるが、そこそこの交際期間を持ちながら、わたしという長子を授かったために入籍に至った。要するにデキ婚であった。しかしながら、母には当時寄り道もとい、同時進行をしていた男性が他にいた。個人的にわたしの種はその男性由来のものなのではないかと疑っているが、今更血縁のある父親とのDNA検査云々というのも、金と時間の無駄だと思うのでやらない。違ったことがわかったとして、わたしの幼少期は戻ってこない。また、どうでもいい事実を突きつけられたとして、父親はそれを理由に母親と離婚でもするだろうか、(既にしているという説は置いておいて)わたしに金をかけたことを後悔するだろうか、いずれにせよわたしの目覚めの悪くなることなので、そんなことはしない。

 

世の中なんでも知っていればいいというものではないのだ。

 

 

 

わたしの中の両親は若く美しかった。子どもの贔屓目を差し引いても美男美女であったと思う。もちろん、それぞれが年を重ねるごとに老いはするが、弱りはしなかった。彼らが子どもだったからだと思う。

いつだったか45前後の母親を見たとき、わたしはもうこの人たちの老いる姿を見たくないと思った。30代でとっくに来ているはずの老化を何らかの力でごまかし続けた母親は年齢の割に若く見えるものの、かつて友人皆に自慢できるくらい美人な母親がそこらへんにいる疲れた普通のおばさんになってしまっているように見えたからである。また、似た時期に見た父親は子どもが全員一人暮らしをしてあまり家に寄り付かないせいだろうか、それともわたしが大人になったということであろうか、あんなにも怖くて全てを圧倒させ、強く、要らぬ逞しさのあった父はその面影もなくなっていた。誰がどう見たって心臓と肝臓を悪くした中年男性だった。そう、彼らは老い、弱り、当然わたしと会わない時間も少しずつ歳をとるのである。かなしきかな、わたしはそれを直視する勇気も慈悲も持ち合わせていない。

 

親不孝を承知で再び言うと、やはりわたしが帰らぬうちに死んでくれていた方がきれいな彼らを保存しておけるので、そうなってほしい。実家にいるときはつらく、苦しいことがたくさんあった。横暴な両親に対して常に嫌気が差していた。それでも、彼らをまともに見ることが出来たのはひとえに彼らの容姿のよさがあったからだと信じている。勝手をするのは自由だが、わたしの記憶の中では永遠に若くきれいなままでいてほしい。両親への要望がまるで恋人のようで我ながら苦笑してしまう。

 

 

 

両親の話と銘打ってはみたものの、なぜわたしが帰らないのかという理由ばかりになってしまった。まあ、彼らは彼らのベストを尽くしたのだろうし、わたしも子どもながらに努力はした。相性がよくなかったのか、わたし自身が彼等のゲームに強制参加させられていることが気に食わなくてそれがバレていたのか、他の要因があるのか、複合的かもわからないが、今となってはどうでもいいことである。医者からは帰るべきではないと言われているし、わたしもわざわざ帰ってつまらないストレスを溜めるのは御免こうむる。

 

わたしはこれからも薬を飲む。健常以下に戻るために淡々と薬を飲む。誰を恨むわけでもなく薬を飲み続ける。とは言うものの、こんな脳みそにしたくせに自分たちだけ人並みに老いていき、それを見守ってやるなんてしたいと思えない。やはりわたしは彼等を許せないのかもしれない。

 

 

 

 

過去の記憶に縋りつかなきゃ生きていけないほど弱くはないけど、終わりの見えない通院と投薬には疲れたし、飽きてきてしまった。

 

 

 

 

 

安全地帯ができる日はくるのかな。

 

 

 

 

 

安全地帯を作るための手順が複雑すぎる。

ぐれそう。

あぐれ

新世界よりの話

ドヴォルザーク交響曲第9番の副題である。

 

 

昨日は薬切れから半ば無理矢理寝たが、言うほど誤魔化せるわけもなく、いつも以上に睡眠が短くひたすら寝たり起きたりしていた。

記事を書いているのは、もう寝るのを諦めたからだ。現時刻は4時。立派な早朝だろう。

 

 

 

朝、夜明け前というのは日の出の瞬間から世界が生まれ変わるような気持ちにさせる。果たして新しい朝なのか希望の朝なのか、わたしにはさっぱりわからないが、暗いところを光で照らすというのは、キリストの父親の時代から変わらぬ世界創造のセオリーであるらしい。「光あれ」と毎日休まず回り続ける地球は少し休んでもいいかもしれない。自転が止まって地球上の諸々が壊滅しても、それを知る人がいなければ、地球は未来永劫人類が蔓延る手狭な惑星のままだろう。

「対象や事象を認知する人間がいなければ、その対象や事象は無に等しい」というのが昔からのわたしの論である。たぶん探せば似たようなことを言っている哲学者だか、科学者がいるんだろうが、探したところで論の補強くらいしかできないのであれば特段知りたいとは思わない。新しい世界が毎日平和に訪れようとも、わたしの時間は有限なのだ。

無限の命のあった八百比丘尼はどんな気分で日々の移り変わりを感じていたんだろうか、800年も生きていれば桜が咲き、若芽の緑に圧倒され、山肌の紅葉や降り積もる白い雪を見ても、ただの年中行事と化してしまっていたんだろうか。まあ、800年ないしそれに近い年月生きていればおそらく悟りもするだろう。死ねば仏になるが、それだけ長生きしていれば人間基準で言うところ、ほぼ神と表現して差し支えないだろう。何を書こうとしているのか忘れてしまった。

 

 

 

新世界よりの話である。

今日も変わり映えしないありがたい新しい日が始まっている。

 

 

 

あまり悲観せずにいきたいものである。

 

 

 

 

今日がいちばん若い。

あぐれ

薬が切れたの話

タイトルのままである。抗うつ剤と入眠剤以外の薬が切れた。毎食後の安定剤と頓服の抗不安剤(安定剤と何が違うのか、種類と作用機序か?)がない。

 

こんな記事を書くくらいなので当然今は焦燥感と不安感、口の奥から胸の辺りを節足動物が這いずり回るような気持ち悪さ、喉が締め付けられて息が詰まるような苦しさ、それを自分で克服できない情けなさでいっぱいだ。泣いて収まるならいくらでも泣く。泣いたくらいでは収まらないのでかなしきかな、眠剤を飲んでやり過ごすかというところである。

 

 

1gもないだろう小さな錠剤の有無で振り回されて、自分の思うようにならない脳みそにも自律神経にも思考回路にも飽きた。こんな生活をいつまで続けるのか、悔しくて惨めで無力でどうしたらいいんだろうかと心の底から誰かに助けを求めたい。誰かに喚き散らして、思いっきり泣いて「もう無理しなくていい」って言ってもらいたい。

薬がなくて不安感をどうしようもなくて、思考がどうしてもいつも以上に負に寄りがちで突発的な苦しさがずっと続くなら一層のことまた首でも吊るか、通勤電車を停めてみるか、一思いに飛んでみるか、そんな馬鹿げたことで頭の中がいっぱいになってしまう。

 

 

高校を卒業して、実家から離れて暮らすことを決めたとき、「帰るところがなくても強く生きよう」と思ったはずなのに今となってはその気持ちはどこへやら。こうやって自分の不安感に向き合っていると、自身の弱さが本当に嫌になる。

薬が手元にないくらいでどうした、耐え凌げ。

健常だった頃はこう思ってただろう。今だって一旦寝てしまえば瞬間的に誤魔化すことはできる。瞬間的に誤魔化すことができても、こんなことを一生続けて生きていくのか。こんなに屈辱的な日々を死ぬまで続けていくしかないのか。寛解したところでいつまた再燃するかわからない、自分のフラットな状態も自分でよくわからない。軽躁のときが自分の自然な状態なのか、抑うつのときが自然なのか、発症前の元気だった自分はどんな感じだったのか、それすら最近よくわからなくなってきた。思い出したくてもだんだん過去の自分が遠くなる。眩しくて見えなくなる。もう直視できない。

 

 

 

学生のときのわたしはこんなゴミクズみたいな将来の自分を見てどう思うだろうか、たぶん「生きてる意味ないから早く死んだ方がいい」と言うだろう。当時から社会に適応できる人間、できない人間がいると思っていた。自分は適応できる側だと思っていた。人並みに内定が出て、卒論も順調だった。冬の始めに首を吊るまで最高の生き方をしてきたとは言えないまでも、人様に見られて恥ずかしいところはないと思って過ごしてきた。堪えてきた歪みに耐えられなくなって、乾いた枝が軽い音と共に折れるようにわたしの脳みそと心もだめになった。折れるのは簡単でも、また元のように戻ることはない。枝でも脳でも同じだと思う。どうせなら折れるのは、骨にしてほしかった。痛くたってきっと手術してリハビリしてまた治る。

 

この手の精神病には「完治」ということばがないこともわたしを絶望させる。「寛解」と表現する。理由は再発率の高さゆえである。正確には再発のことは「再燃」という。今まで何度も書いてきたが、再び燃える、なんて嫌な表現だろうか。寛解したら再び燃える可能性のあるものなど残しておかないでほしい。

 

 

薬を飲まないで生活したい。健常者と同じかそれ以下の状態にするためにゆるやかに脳を騙し騙し、投薬でやり過ごす、こんなに馬鹿げたことをいつまで続ければいいんだろうか。どうせ病気になるならまともな両親がいて実家で療養できて自分で働く必要なんてない家庭に生まれたかった。でも、もしそんな家庭に生まれていたら病気にはならなかったと思う。たらればでないものねだりだ。見苦しいことこの上ない。

いくらわたしが苦しいどうしよう助けてほしい、そんなことを訴えたところで自分でどうにかするしかないのが現状である。

 

 

 

いつだったか兄弟から

「自分がしあわせになることを考えて生きてほしい」

と言われた。

そんな呪いの言葉を吐かないでほしかった。わたしは早めに死んで全部から解放されたかった。現実に縛り付けるようなことを言わないでほしかった。わたしがいくら自分の病気や感情と相対しても、薬なしでどうこうできることなんてなくなってしまった。もうこれだけ書いていて、薬がなければ何もできないという思考から離れられない時点で頭がおかしいことはわかっている。わかっていても、頭がおかしくなるくらい苦しくてどうしようもなくて、とにかく薬なしでこの状況を笑顔でやり過ごせるほどわたしは強くない。つらいし、誰かから呆れられようが馬鹿にされようが、何度だってこのどうしようもない気持ち悪さを書き起こして残しておくことくらいしかできない。

 

 

 

わたしが何の悪いことをしたっていうんだろうか。

苦しさが紛れないので入眠剤を追加して、早めに眠れるように努める。

 

 

 

穏やかに過ごしたいだけなのに

 

健診に行ってきたの話

昨日は、久しぶりに健康診断に行ってきた。

 

 

身長が少し伸びていた。25から少しずつ伸びている。なんなんだろうか。死ぬ頃には2mを越えているかもしれない。特注の棺桶が必要だ。

相変わらず血圧は低かった。2回測定したがどっちも上が85を切っていた。

心電図は不思議な気分になる。電気が流れたり、流されたりしていると思うとなんだか頭がふわふわする。

採血は4本くらい取られたと思う。正味10mlくらいだろうか、静脈血は赤黒い。

 

他にもいろいろした気がするが、とりあえず合法的に血を抜くことが出来たので少しだけ満足である。量は少ないが、検査目的なので致し方ない。 

 

結果がいつ出るのか聞くのを忘れた。大抵の値は問題ないはずなのであまり気にしていない。

 

 

 

昨日、朝食を抜いてからというものの、すっかく異常食欲が落ち着いてしまった。ありがたいことなので、この機に乗じて体重を減らしていく。

 

 

 

 

なんだか低空飛行な気分。

 

 

 

 

ぐるぐる空が落ちる。

あぐれ

深夜のおさんぽの話

深夜が何時くらいかという話は置いておいて、眠剤を飲んでもどうしようもなく眠れないときは夜風を浴びに外へ出る。

 

危ない危なくないという論はさておき、深夜の住宅街はよい。数時間前まで一家団欒で食卓を囲んでいた家の電気が軒並み消え、無機質な街灯だけが夜道を照らす。運が良ければ全く人に遭遇しないので、まるで夜の世界に自分ひとりが迷い込んだような錯覚を覚えることもできる。さながら幼児の探検である。

とはいえ、さすがにわたしもいい歳なのでゆっくり歩き慣れた道を徘徊したり、新規の道をおそるおそる開拓したり、公園のベンチで風に揺れる木の葉の音を聞くくらいしかできない。ただ、それだけできれば充分だ。

 

 

 

東京の空は茶色い。月は見える。星は少し見える。

気が向いて公園のブランコに乗って、揺られるがままに月を見ていると、そのうち月まで手が届きそうな気分になってくる。ほぼ幼児退行だ。人はいつから「あんなに遠くのものには生身じゃ届かない」と思うようになったんだろう。大人になったからだろうか、わたしも普段は月に手が届くだなんて思っていない。でも、ひとりでわずかに近づいたり離れたりする月を見ていると、いつか触れそうな気がするのだ。子どもの心がまだ残っているのだと少し感慨深くなる。

 

 

深夜のおさんぽはいろんなものが昼と違った顔をしているので、そこもよい。街路樹も咲く花も、近所の表札も、駅周りのドラッグストアも、息を潜めて日の出を待つような顔をしている。黙ってたって朝はくる。

陽の当たるところや時間だけが、そのものの全てではないと感じられる点はやはり深夜のおさんぽの醍醐味だろう。

 

 

 

まあ、ひとりで夜中にふらふらしているのだから、職質をされても文句は言えない。これは読者の自己責任の範囲でお願いしたい。

 

 

 

本当は出歩かずに寝てた方がいいのはわかってるけどね。

 

 

 

ぐれぐれあぐれ。

あぐれ

糖質無制限の話

いつからだったか糖質制限だのロカボだの流行り出した。健康のため、減量のため、思想信条のため、理由は何であれ時代は糖質制限らしい。お米食べろはどこへ行ったのか。国内の米農家のために米を食べよう。ちなみにわたしの知り合いに米農家はいない。まわし者ではないので悪しからず。

 

 

さて、わたしは基本的に糖質無制限である。名糖のレモネードにもレモンティーにも砂糖は大量に入っているし、キレートレモンも砂糖の塊みたいな液体だし、食べるヨーグルトは加糖かはちみつをかける。タピオカ入りのドリンクもすきだし、餅も白玉もわらび餅も求肥もすきである。あんこはそのまま飲む。食べる順番ダイエットの米やパンを最後にする意味はよくわからないからやらないし(一緒に食べなかったら要らないのでは?)、体型については特段書く必要はないだろう。そういうことであり、あんこは飲め。

井村屋の茹であずき缶はそのまま食べてもおいしかった。さすがのわたしも粒のあるものは飲めない。キャンベルのコーンスープやクラムチャウダーは面倒だとそのまま食べる。塩分が豊富に取れて血圧も上がり、一石二鳥である(?)雑学的ではあるが、高血圧で塩分制限をして血圧の低下する日本人は3割に満たないらしい。わたしは塩分無制限をしても大抵低血圧なので、存分に塩分は摂る。

 

 

これは非常に由々しき事態ではあるが、最近やたらと肉と卵を食べており、結果として糖質の摂取量が減っている。そういう循環が出来てしまったのか、甘い飲み物を飲みたいと思わなくなった。ヨーグルトと無糖でいい。米も麺もパンも必要な感じがしない。チュッパチャプスも買わなくなった。経済的である。

全く意識していなかったが、いわゆる糖質中毒になっていたのかもしれない。これはなんとなく宗教くさくてあまり好きな単語ではないが、使い勝手がいいのでとりあえず糖質中毒だったということにしておく。

 

 

 

ついでに今日は午前中に血液検査があり、前日の夜から朝の飲食を制限されていたので結局15時過ぎまで空腹だった。意外とわたしも食べずに行動できる生き物である。空腹時血糖の値が云々という話はよく聞くが、満腹時血糖は健康な人間だと調べる意味がないものなのだろうか。ミスタードーナツで食べ放題をしたあとに血糖値を測ってみたいものである。ちなみに好きな商品はオールドファッションハニーである。カロリーを調べたら400を切っていた。口ほどにもない野郎である。山崎製パンミニスナックゴールドを見習っていただきたい。「ミニ」を自称している割にひとつ食べれば560kcalくらい摂れる。コスパよく糖質無制限活動、増量ができるのである。

 

 

 

 

特段食べる気がしなくなってしまったので、しばらくは糖質無制限が制限された食事をするかもしれないが、来月あたりからまた元気にあんこを飲みたい。

 

 

 

 

 

ぐるぐるミニスナックゴールド

あぐれ