深夜のおさんぽの話
深夜が何時くらいかという話は置いておいて、眠剤を飲んでもどうしようもなく眠れないときは夜風を浴びに外へ出る。
危ない危なくないという論はさておき、深夜の住宅街はよい。数時間前まで一家団欒で食卓を囲んでいた家の電気が軒並み消え、無機質な街灯だけが夜道を照らす。運が良ければ全く人に遭遇しないので、まるで夜の世界に自分ひとりが迷い込んだような錯覚を覚えることもできる。さながら幼児の探検である。
とはいえ、さすがにわたしもいい歳なのでゆっくり歩き慣れた道を徘徊したり、新規の道をおそるおそる開拓したり、公園のベンチで風に揺れる木の葉の音を聞くくらいしかできない。ただ、それだけできれば充分だ。
東京の空は茶色い。月は見える。星は少し見える。
気が向いて公園のブランコに乗って、揺られるがままに月を見ていると、そのうち月まで手が届きそうな気分になってくる。ほぼ幼児退行だ。人はいつから「あんなに遠くのものには生身じゃ届かない」と思うようになったんだろう。大人になったからだろうか、わたしも普段は月に手が届くだなんて思っていない。でも、ひとりでわずかに近づいたり離れたりする月を見ていると、いつか触れそうな気がするのだ。子どもの心がまだ残っているのだと少し感慨深くなる。
深夜のおさんぽはいろんなものが昼と違った顔をしているので、そこもよい。街路樹も咲く花も、近所の表札も、駅周りのドラッグストアも、息を潜めて日の出を待つような顔をしている。黙ってたって朝はくる。
陽の当たるところや時間だけが、そのものの全てではないと感じられる点はやはり深夜のおさんぽの醍醐味だろう。
まあ、ひとりで夜中にふらふらしているのだから、職質をされても文句は言えない。これは読者の自己責任の範囲でお願いしたい。
本当は出歩かずに寝てた方がいいのはわかってるけどね。
ぐれぐれあぐれ。
あぐれ