おかかえのあたま

ぐれたりぐれなかったり

ご無沙汰していたの話

およそ半月ぶりの更新である。

 

特段何があったというわけでもなく、書き溜めていた記事を全て消して一度自分の軽躁と向き合う時間を作ってみようと思っただけだ。

かっこよく言ったものの、要するに予定を詰めに詰めただけの話である。中高大全ての友人、それぞれの恩師に会い、兄弟に飯を奢り、前職の同僚と少しばかりの世間話をし、振り返ってみれば、さながら自死寸前の人間が人生の総まとめをしているようにも見えただろう。まあ、近い部分がなかったと言えば嘘になる。

 

 

人生というものは不思議なもので、それなりに上向きの人間に合うと自身の方向も自ずとそちらに寄っていく。引き寄せの法則等々は宗教じみていて基本的に好きではないが、環境がその人間を形作っていくという主張をしているわたしからすると、まるまる否定できるものでもないのでなんとも言及しがたいところである。

話が逸れた。

たまたま、高校時代の旧友と話していた日に帰宅をしたら、ここ3ヶ月ほど社労士の先生にお世話になっていた事案の結果が届いていた。文脈を察することの出来る方々はおわかりだろうが、言わずもがなこちらの要望が通った形での結論が出た。ようやくここから動き出せるというものである。

大っぴらにやる類の民事訴訟に比べたら、期間は短く、大したことのない手続きであったが、正直なところ士業の方々の力を借りねばならない事柄というのは面倒なことこの上ない。感想を申し上げよう。くそめんどうだった。

が、そのおかげで後々の事案の手続きは非常に円滑に進めることが出来る。ようやくここから動き出せるというのはそういう意味でまだまだスタートラインにすら立てていないのが現状だ。軽躁で身軽な期間もいつまで続くかわからないため、面倒事は早め早めで片付けておきたい。

 

 

あとは面倒事は続くもので以前の記事が更新される少し前に慢性骨髄性白血病とやらの疑いが出て、血液検査と骨髄検査もした。結果はシロ。問題なしであったものの、診断結果が出るまではやきもきするものである。

通常時、わたしはやや微熱気味で白血球数は健診でひっかかる程度の高さであったが、いつぞやの血液検査の結果で大した熱もないくせに白血球の数が爆増、内科で「これはちょっと検査をしてみては?」とのことで紹介状を書いてもらい、のこのこ総合病院で針を刺されたというわけである。採血程度ならなんてことはないが、骨に関する注射だか検査の類は二度とやりたくない。代わりに血ならいくらでも抜いてくれて構わない。

慢性白血病というのは初耳で、検査の前後にネットと書籍で少し調べた。急性とはまた諸々の原因だの症状だのというものが別のようでいまいちよくわからなかった。ガン化する細胞云々の話で遺伝子がどうのということもあちこちに書いてあったが、X染色体に乗る可能性があるとして、わたしの場合はそもそも戸籍上の父親が9割9分非血縁者のため、遺伝子云々を追うに追えないというところがある。これもまた考えるだけ無駄になりそうなので、ひとまずは結果を待つことにした。馬鹿な母親を持つと子どもに皺寄せがくる。馬鹿な女はいつだってきらいである。頼むから後先のいずれかは考えて行動して頂きたい。彼女の場合は、今更言ったところでどうにかなるものでもないので、この際だからと携帯電話の番号とメールアドレスを変えてしまった。住所はひとつ前から教えていないし、追おうと思えば住民票か何かの開示を区役所にでも求めれば、住所くらいは分かるのだろうが、おそらくそこまで賢くはないし、わたしへの執心もないだろう。所詮はその程度の人間である。暇なうちに分籍でもしておくか、戸籍の筆頭者が父親というのも毎度見るに耐えない気分にさせられる。言ってしまえば最悪だ。いちいち過去を思い出させないでほしい。肥溜めの中に埋もれているのではないだろうかという不快さが胃の底、脳味噌の奥からこみ上げてくる。どうせなら本籍も適当なところにしておいて問題ないはずであるし、わかりやすいところを検討してみようか。

さて、骨髄検査の話に戻る。

ただ、待つというのもしんどいもので、軽躁にかまけて予定を詰めまくった。多少気は紛れるものの、賃貸の部屋に戻ればひとりである。蛇口を捻った真夏の水道水と同じで、あたたまってぬるくなった心臓を急に冷やすが如く、薄ら寒い現実を突き付けてくるものである。相談する親もいなければ、友人にこれ以上の心配はかけられない。とにかく黙って検査結果を待つしかないのである。沈黙は金だが、代償は高い。片っ端から王水をぶっかけてやりたい気分になっていた。

帰ればとにかくひとり生き埋めの日々であった。

もう一度言うが結果はシロ。わたしの微熱気味の原因はやはり自律神経の狂いであり、多めの白血球は単なる体質で結論が出た。

 

似たような言い回しをまた使ってしまおう、人間というものは単純なもので、結果に問題がなければその物事からは大抵解放された気分になり、憂鬱だった日々もまたそこらに転がる思い出のひとつなってしまうのである。わたしの場合、自律神経のゴミさを除けば3日で復活したキリスト同様、余裕のヨシュアであった。軽口はこれくらいにしないと旧約聖書の信奉者からぶちのめされかねない。

 

 

 

さて、投薬に関してだが、

大きな変更はなく

ラミクタール50mg

デパケンR500mg

と完全に抗躁で処方が増えただけである。

抜群の攻撃力、もとい戦闘力で元気に生きている。

 

またブログもぼちぼち更新されるだろう。物好きだけが読めばいい。

 

 

 

 

ひとつ付け加えると、およそ50階建ての絶好の投身スポットに最近大手を振って出入りできるようになった。

いつだって用意は周到、準備は万端に。

あぐれ