おかかえのあたま

ぐれたりぐれなかったり

また体重が増えたの話

自己嫌悪の日々である。

 

 

体重が増える原因は色々ある。

食べすぎ飲みすぎストレス運動不足病気やら薬の副作用。

幸いなことに薬の副作用はなさそうである、一昔前まではトピラマート(?)たぶんトピナが過食防止で処方され、ねむいのでこのへんで

 

 

 

 

 

ねるねるねるね

塩分の話

ここのところ甘味より塩味である。

 

 

 

しょっぱいものがほしいというわけであるが、これはどうやらミネラル不足が原因らしい。知ったことか。

食べたいものを食べたいように食べる。

ゆえに炒飯には塩コショウ、置いてあれば一味を足し、餃子は酢醤油に浸し、揚げ物類もソースやタレに浸かってもらう。素材の味というのは正味もうよくわからないものの、それはそれでいいのである。

個人的には塩分が取れて満足している。

 

 

 

 

塩分過多で血圧が…という話はよく耳にすることであろうが、どうやら日本人の3割程度しか関係ないらしい。わたしも今のところは関係ない部類の人間であるようだ。

塩分を取りまくってても血圧は安定して上も二桁のやや低め。女性にありがちな数字で生きている。

 

 

 

ここのところ健康だ美容だなんだと書いているが、そういう話題を書けているときの精神衛生状態はそこそこよい。

これは予約投稿になるため、投稿時にどうなっているのかはわからない。

年末年始は時間が有り余っていたものの、複数人と会うほどの余裕がなく、1対1で会う予定はどうにかなったものの、それ以外はむずかしく断ってしまった。人がたくさんいるのがこわいというよりも自分の余裕がないときに複数での予定があると「ここには自分が参加しなくてもこの会はまわる」という気持ちが根底にあるからだと思う。実際そうだから取り立ててあれこれ言われることもないのだろう。

言われていたところでわたしのいるところでなければ大丈夫である。陰口叩いて発散されるなら大いにそうするべきだと思う。

 

 

 

 他人に迷惑をかけない方法でストレスを発散させることがだいじ。

ゆえにしお。

 

 

 

そんなところで。

 

 

 

 

おかかえのあじしお。

一皮むけたの話

あけました。導入がどうだったのかも忘れてしまった。

言わずもがな新年である。

 

 

 

年末年始は割合に時間を持て余しており、ブログの存在も忘れていたため、無限に今戸やら何やらと検索していた。

 

 

 

さて、一皮むけたの話である。

 物理的に顔面の皮膚が剥がれ落ちている。

 

というのも、トレチノインを先月の半ばから使い始めたからである。もともとそこまで肌は汚くなかった。というよりきれいだった。

使ってみたくて美容皮膚科で出してもらったわけで、赤みと皮剥けは本当にすごい。気になっていた箇所は剥けがあるたびに気持ちきれいになっていると思うものの、日々の洗顔入浴化粧水トレチノイン保湿全てが痛い。日焼けも化粧も痛い。

そこそこ痛みに強い方だという自負はあるが、そこそこに痛い。

 

わたしはこれが初回の1クール目のため、トレチノイン0.05%という低めのもので、個人輸入をしている美意識の高い方々の中には初めから0.1%(高濃度)を使う方もいるらしい。また、わたしは手持ちに他の美容皮膚科で処方されていたハイドロキノンがあったためそれを使っているため断ったが、トレチノインの美容皮膚科でハイドロキノンも一緒に使えと勧められた。実際、調べてみると一緒に使うべきだと思う。

 

 

トレチノインは1クールが2週間~6週間のトレチノイン塗り期間(?)と同じくらいのクールダウン期間がセットになっており、シミの抜けが足りない等の効果が薄ければ濃度を上げて2クール目3クール目とやっていくようである。

正直わたしは1クールでいい。化粧しなくてもそんなに困っていなかった鼻の毛穴がめちゃくちゃ小さくなったと思う。あとはずっと体質だと思っていた口周りの黒ずみと唇の色素沈着(唇には使うべきではない)(保湿のときについた)(唇がべろべろ剥けた)が薄くなった。鼻はそうでもなかったが、口周りはめちゃくちゃに赤みと皮剥けが酷かった。あとはうっかり目の周りにつけてしまうと翌日悲惨なことになっていた。たまに眼帯を使って会社に行った。

 

 

 

ちなみに付け加えるとトレチノインは冷蔵庫保管で約1ヶ月しかもたないとのことなので、1回買ってしまったら1ヶ月で使い切れる限り塗った方がいいと思う。発想が乞食なので。

わたしは顔の気になる箇所以外にも身体の水疱痕や色素を薄くしたいところにも勝手に塗っていた。ただこれは医師の診察の範囲外のため、自己責任である。色素はめちゃくちゃ薄くなった。ただ、皮は剥けるし、痛いし、皮は剥けた。

 

 

 

 

1回やってみたいというわたしの経験欲が満たされたので個人的には非常に満足している。ただ、めちゃくちゃに赤みが出て、めちゃくちゃに痛く、めちゃくちゃに皮が剥ける。多少盛っているかもしれない。

 

 

 

そんなところで。

 

 

 

 

おかかえの2019年。

早期満腹感の話

満身創痍とはこのことか。

 

 

少し食べただけでお腹がいっぱいになる。

胃が小さくなったか?

単純な薬の副作用の食欲不振か?

唾液減少の嚥下困難か?

まあ、もろもろ考えたり調べたり悩んだり放心したりラジバンダリ。で、機能性ディスペプシアという単語(昔から知ってたけど自分が当てはまる感じはしなかった)の早期満腹感がそれっぽいなーという雰囲気が出てきた。

 

 

 

ちなみに自分の体のことをあれこれ「病気では?」と調べる(心配する)のも心気症という精神病であり、要するにメンヘラである。

心理学専攻はメンヘラになる。まっとうな道をたどっている。

 

 

 

 

12月になったところで何が変わったかよくわからないが、次の診察で薬が減ることを願う。

 

 

 

そんなところで。

いつもソリスト

 

 

 

 

震顫。

抜毛の話

脱毛ではない。

 

 

ストレスゆえに再発した疑惑である。

会社にいるとき、気が向けばお手洗いに立ち個室でとにかく髪の毛を抜く。イライラしているのか、抗不安剤を飲めばおさまるのか、働くのをやめればおさまるのか、そのあたりももはやよくわからない。

 

つかれたの一言に尽きる。

 

 

 

抜毛症という言葉もあるくらいで大抵が何らかの別のストレス性の病気だか疾患と併発するが、ほぼ手癖になっている人がいるのも事実である。異食や軽めの自傷とほぼ変わらないというのがわたしの認識で、まあ瀉血するよりややマシかなというところである。

人によっては円形脱毛になったりもするらしい。抜き方の問題で満遍なく抜けばいい。

無論、抜かずに済むような生活を送るべきであるが。

 

 

 

 

書きたいこともよくわからなくなってきた。

 

 

 

そんなところで。

 

 

 

アンピュテーション。

保険に入れないの話

2018年7月の下書きです。

  

 

 

 

 

障害者手帳障害年金を受け取っている。

 

 

 

診断名は当時が双極性障害である。おそらく今も変わらないだろう。

いわゆる躁うつ病というものである。

診断名が変わったのは確か今年に入ってから。主治医が「障害年金の申請をしてみてはどうか」という提案をしてくれたため(相当珍しいらしい)、年金やら何やらを申請するに至った。正直かなり屈辱的な気分にもなったし、過去のことは思い出したくもないし、そこまで社会福祉に頼って生きなければならないのか?という迷いもあった。

使えるものは使ってしまえ、という結論に至って現在のわたしがある。

 

実際、自分でも躁うつだと思う。というより、ラピッドすぎるくらいのラピッドサイクラーだと思う。自分の感情と行動についていけないことが多々ある。

楽しく飛び降りたい。そんな気持ちによくなる。躁のときはいつでも最高でハッピーで最低で死に近い。

 

最高でハッピーでも病識だけは持っていたい。

ただ、自分のためだけに通院する意味はあるのだろうか。服薬で躁をコントロールできれば、社会的には益になるが(正確には迷惑をかけづらくなるが)、そもそもわたしは社会の益のために定期的に通院服薬するのを確定で一生行う必要がある存在なのか。

 

どうしようもない悩みは尽きない。

 

 

 

 

薬も増えた。

気分安定薬が3種類

眠剤2種類

抗不安剤1種類

副作用止め2種類

寝る前が多い。

 

 

  

そんなこんなでわたしもメンヘラの例に漏れず寝る前の健忘的な時間は大抵何かしら健忘的に過ごしているがなんとほぼ保険のパンフレットを請求している。

健全かつ意識明瞭なときの打撃の大きいものである。

告知義務の関係で生命保険はもちろん入れず、緩和保険のようなものにも入れず、養老保険だか入院保険だか就労保障保険だかまあその類にも全く入れない。ごみである。

 

 

現代の河原乞食はこんな感じであろう。

正味な話、つかれたので医者か看護師と付き合って存分に血を抜いて死にたい。

 

いつだって瀉血は全ての病から救ってくれる。

中世の医学が証明している、生きる体力のない人間は治療行為に耐えられず死んでいくのである。死が救いか否か、わたしは特にどちらでもよいが、手軽で衛生的な死に方だと思う。死ねば通院と服薬から解放されるし、治ればそれはそれでよし。

双極は治らないため、死ぬか薬を飲むかしかない。

迷惑をかけてもよければ薬をやめればいいものの、結局脳を酷使すればするほど死は近くなる上にわたしが疲れる。

躁のときの爽快感や全能感の代償が大きすぎる。いい加減につかれた。

 

自分の血は汚いから他人に処理してほしい。

特に天国か極楽かもしくは地獄かそんなところがあれば暇つぶしにでも見学したい。死んだら無であると思う。

 

死んだ金魚を見るたびに生者にとって死に救いはないが、死者にとっての救いがあるように感じる。

伝わらなければそれでよい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなところで。

 

 

 

ヒステリー球。

また瀉血の話

おそらく2度目である。

 

 

 

わたしは身体に異物を入れるよりも出す方が好きである。

排泄というよりは、完全に瀉血である。

自己の意識化、管理下で要るのか要らないのかわからない、とにかく自分の所有物を排除してしまいたいのである。自分の中から自分の何かが減っていけばその分自分がこの世界から薄くなる。

この感覚はおそらく他人には理解し難いものだと思うが、なるべくわたしは自分を薄めて生きていきたいのである。

 

 

瀉血の効能としては

(個人の主観ゆえ参考にしないように)

気分が晴れる

ストレスが解消される

肌が綺麗になる

痩せる

代謝がよくなる

気持ちが落ち着く

じぶんが薄まる

このあたりである。

 

 

 

 

しかし、ここのところはまったく血が抜けていない。

健全と言えば健全であるが、なんとなくいらいらしやすくなったきがする。

 

 

 

方法も前に書いた気がするので次回にでもま高く。

 

 

 

 

そんなところで。

 

 

 

午夜の待ち合わせ。

あぐれ