おかかえのあたま

ぐれたりぐれなかったり

英語を解いているの話

めずらしい。

 

 

 

英語を「解く」という表現からお察しの通り、英文メールや書類の書き起こし・作成ではなく、問題を解いているのである。

 

詳細を書くとお叱りを受けるため、伏せておくが、概要は某学生の夏課題の手伝いである。しかも、残念なことに今回の課題は答えがないだけでなく問題作成者による完全自主作成問題である。馬鹿か。

 

 

 

 

 

おかげで久方ぶりに電子辞書の充電をし、英文法書を押入れの中から引っ張り出し、さてこのあとはどうしようか…という状態になっている。

まあ、2,3問解いたところで漠然と学生用の英語の雰囲気を思いだしてきた。思いだしてきたものの、もはやわたしは現役ではない。そもそも無職をまる7ヶ月経験し、8月半ばまで何をするでもなく過ごしてきた人間が一朝一夕で学生英語の感覚に完全に戻るという方が難しいのである。

 

 

 

ガタガタ言ったところで何も始まらない。手伝うと啖呵を切ってしまったからには時間を持て余すより、錆び付いた英語を再研磨し、その方が暇が潰れるため、クライアント(かっこよく表現した)、わたし、持て余している時間すべてにとって有益なのである。

 

 

 

ちなみに言うとクライアント(再びかっこよく表現した)から問題作成者の性格やその他の課題など出題傾向、得点の配分については詳しく聞けていない、というより依頼者自身も把握できていないとのことなので、解答に迷った問題については仕方がないので場合分けをしていくつか候補を書いておいている。

なんなんだこれは、数学か?

言い換えの問題や、日→英の問題であれば大きな誤答がないと信じたいが、懸念事項はその他の問題作成者の意図の掴みづらい設題である。解いていて感じるのは、わたしはおそらくこの問題作成者とは友人にはなれないし、仕事をしても最初はそれなりにぶつかるか、極力関わりを減らす方向で過ごすであろうということである。

 

英語や国語の問題はそもそも文意を読み取るというよりは、問題作成者との心理戦というところもあるため、はっきり言っていくつか解けばその人間の側面は漠然と見えてくる。

 

 

 

そんなところで、面倒なので依頼者向けに英語問題の解答のテクニック的なことを書いたノートも放り投げておこうと思う。これを使うか使わないかは本人次第のため、わたしの感知するところではない。

 

 

 

 

用意は周到、準備は万端、夏課題は自分で終わらせることができるくらいにちゃんと出席しておこうね。

可能性を広げるために幼少期~青年期の勉強とある程度の学歴は必要だと思ってるよ。

分相応な人生を送るために。

あぐれ

水草がばんばん増えるの話

アマゾンフロッグピットこと、通称アマフロである。

 

 

マツモも増えることながら、アマフロの増え方といったら!

 

 

 

 

オリヅルラン的に増えていくのだが、ここのところ暑いのと金魚のせいなのか餌のせいなのかとにかくアマフロが増えていく。そのうち金魚鉢を覆い隠さんばかりの勢いである。

 

 

 

 

マツモも増える。

とにかく増える。増えてそれでもって金魚のおやつになっているらしい。

餌をやる必要はあるのだろうか。

 

 

なんとなくこの増え方を見ていると元を取った気分になる。

 

 

 

 

全く関係なきことですが、明日は珍しく何の予定もないため、ひねもす金魚を眺める日である。

オールオフはよい。

 

 

 

 

来月からまた会社員か。

無職と言えなくなるのはそれはそれでさみしいところがあるものである。

 

 

 

 

そんなところで、我が家は計3になっております。

 

 

 

 

用意は周到、準備は万端、死は皆平等に。

分相応な人生を。

あぐれ

台風の話

ぐるぐるのアレである。

 

 

 

 

恵みの雨なのか、人の弱さを教える神の悪戯なのか、まあそういう詩的な表現をわたしはできないため、とりあえず台風のことを書くとする。

 

 

 

 

 

まず、無職に台風はあまり関係がない。

なんと言っても働いていないということは通勤の必要がないため、公共交通機関の乱れがあろうがなかろうが、そんなものに乗り降りしなければいいだけの話である。

停電でもすれば多少は困るのかもしれないが、そもそも我が家はオール電化ではないし、台風の来る季節は暑いので風呂は水だし、台風が来ていたら大体涼しいからエアコンが要らないし、テレビも観ないし、冷凍庫のアイスが溶けるか溶けないかくらいしか困らない。

 

これがもし会社員時代だったら相当憂鬱だっただろう。

会社から「緊急なんとか速報」のような注意喚起のメールが飛んできてもどうせみんな出社し、上の奴らの帰宅指示は遅く、駅は大混雑でタクシーもつかまらず、面倒になりかいしゃに戻ってある程度台風か人がどうにかなるまでこなすべき業務の続きをするのである。

なんと勤労精神溢れる日本人だったのだろうか!

 

馬鹿馬鹿しいにもほどがある。

わたしがいなくても会社は回るし、わたしがいなくなったところで回らなくなる会社ならさっさと潰れて頂きたい。

 

 

 

もし、学生の頃だったらどうだっただろうか。

たぶんT.M.Revolutionごっこをして過ごしていたように思う。

※危ないため真似をしないように

 

T.M.Revolutionごっことは、西川貴教になりきり、雨や風の調子に応じて主に『High Pressure』『hot limit』『thunderbird』あたりを意識して外で遊ぶというだけのことである。

これは馬鹿だと思われるだろうし、事実馬鹿なのだが、やってみるとなかなかに楽しいもので西川役、ギター役、噴水役、衣装役、カメラ役など自由度が高く、雨と風のおかげで歌を知らなくても大抵盛り上がる。

もう1度書いておくが、T.M.Revolutionごっこは大変な危険を伴う遊びであるため、決して真似しないで頂きたい上に万万が一ひとりでやろうものなら職質必至である。

わたしは止めておいた。

 

 

 

 

夏はT.M.Revolutionごっこ

秋は働き

冬はwinter againごっこ

である。

 

winter againごっこについても大方の予想がついているとは思うが、ブログが雪の季節まで続いていたらまた詳しく書こうと思う。

 

 

 

 

そんなところで、台風の日はおうちでのんびりしていようね。

 

 

 

 

用意は周到、準備は万端、台風コロッケ3つ買った。

窓を叩く大粒の雨音が心地よい。

どんな天気でも分相応な人生を。

あぐれ

ダーツをしたの話

めちゃくちゃに下手である。

 

 

そもそもダーツをし始めたのは3年前くらいで最初こそ

「そんなものはパリピのやるものでは?」という疑念があったものの、やってみたら存外根暗との相性がいいものであった。

というのも、ひとりで淡々と投げられるし、いわゆるマイダーツを持っていなくても平気、周りの人も投げているときはそこまで他人を気にしていないし、ソロダーツをする人は大抵投げ放題にしているか、クレジットを入れて対戦にしているかのどちらかなので、やはり周りを批評することはそうそう多くないように思う。

 

わたしは投げ放題派でひとりで4P、投げ続ける。

コントロールが悪くすぎて基本的にはカウントアップで準備体操をしてから、01である。クリケットはそもそも狙えないのでやらない。

 

 

 

そんなこんなで久々に人とダーツをする機会に恵まれた。

ゲームはやはり

カウントアップに始まり、

01

バイオハザード的な何か

マルチプルカウントアップ(?)

ヤムヤム

あたりで計3時間ほど楽しんだ。

 

 

お互いカウントアップのスコアが400-500、調子がよくて600乗るか乗らないかのいう集まりだったため、なかなかの接戦であった。そして、珍しく酒も入っていた。

言わずもがなわたしは基本的にひとりのときは酒を飲まないため、ソロダーツのときはジャスミン茶かウーロン茶のいずれかである。

この日はかわいこぶってカシオレを飲んでいたが、同席したのは全員同性のためなんの効果もネタにもならない甘めのオレンジジュースであった。舌が子どもなので甘いお酒以外は飲めない。なかなかに難儀をしている。

 

 

 

まあ、無職も今月いっぱいということでのんびり友人らと過ごすことにする。

 

 

 

そんなところで、気になるのはビリヤード。

 

 

 

用意は周到、準備は万端、生涯に一度は出したいton 80

練習するしかないのかな、地道が近道。寄り道もまた道。

分相応な人生を。

あぐれ

無職終了の話

とうとうわたしの無職生活にピリオドが打たれる。

 

というのも、業務委託で貰ってる仕事があること、バイトの面接に受かったこと、短期の仕事に内定したことが原因で、正味な話、まだまだ無職を続けていたかった。意外と短い無職生活であった。

なんと、スカルプもできずに雇用保険に再び加入してしまう。なんたる屈辱、なんたる不自由。

 

 

まあ、スカルプはまたおいおい置いておくとして、今はそれなりに金策に走らねばならない時期であり、人生の中で歯を食いしばって働けるのは僅かということばを聞いてからなるほどそれは今だと

 

鬼籍に入るの話

青一がお亡くなりになった。

 

 

正直、自宅で塩浴をさせているときから「水面で口ぱくする癖があるなあ」とは思っていたものの、塩浴2日目で不思議な動き、言ってしまえば痙攣しがちな動きをしていて、どうだろうかと思いつつ、3日目に帰ったところで確認したら既に昇天されていたというわけだ。

うーん、こればかりは哺乳類やら有名どころの爬虫類でもないので、獣医もいなければ手前の魚は手前で見るしかないのである。

アクアリウムショップで見抜けなかったわたしのミスである。生体に罪はない。

 

 

 

酸素濃度やアンモニア濃度の云々を疑いたい人はいるのはわかるが、10ℓのバケツに塩浴で1/3ずつは同濃度、同水温で水の入れ替えをしていたので考えづらい。

 

 

 

個体に罪はない。

 

 

 

とにかく同居する方が減ってしまったというだけの話である。

 

 

 

 

そんなところで、紅白の方々が残るというわけである。

 

 

 

 

用意は周到、準備は万端、にしてても難しいときはあるね。

分相応な人生を。

あぐれ

前に進むとはの話

どういうことなんだろうか。

 

 

よく考える内容である。

10代半ばを頂点に肉体は老いる一方、思考も柔軟さを失われがちである。

単純な時間的経過だけを前に進むことと断定してしまっていいのか、ということだ。

わたしの中ではほぼほぼ答えが出ていて、時間的な経過のみを前進とすることは基本的に是としない。

 

 

ならば何が前に進むということなのだろうか。

仕事で昇給昇進をすること?

恋人や配偶者を作り、家庭を持つこと?

家庭を持った上で子どもを育てること?

何かの学問で優れた研究・結果を残すこと?

他人より資産を蓄えること?

薬を飲まずに生活できるようになること?

過去の恐怖や憎悪を忘れ日々を笑顔で過ごすこと?

わたしの病気の原因を根本から取り除くこと?

正直、どれも2割は正解でテストで言えば△ではないか、というのがわたしの意見で、この2割が重なって10割になったとしてそれが果たしてわたしの最適解かと問われれば、それもおそらく否である。

 

 

 

人間は生まれたときから死ぬ運命にあるもので、前に進むというのはつまるところ死に向かって時間を重ねていくことと相違ないだろう。

死なない「ヒト」がいるのであれば是非とも教えていただきたい。ロックフェラーでさえ、心臓移植を7回し、100余歳で鬼籍に入った。

不老長寿の伝説の類はよく聞くものの、大抵が自分より早く亡くなる他人との別れに嘆き悲しみ、宗教に入り、入滅ないし昇天して最期のときを待つというのが定石だ。国内であれば八百比丘尼あたりがそうだろう。

死という期限があるからこそ「ヒト」は有限の中で足掻くものだと教訓めいた話が多く残っているのは、いつの世も前進とはなんなのかを悩み考えた人々がいたからだと思う。このあたりはわたしの勝手な推察で何の根拠も証拠もないため、適当に読み流していただきたい。

 

 

 

わたしもこんなブログを書き連ねてはいるものの、30歳という節目を目前に控え、思うことがないと言えば嘘になる。

そもそも十進法で節目だなんだと騒ぎ立てるのも「ヒト」特有なのだろうが、運良く平和かつ安全かつ教育水準のそこそこ高い文化圏に生まれ育って刷り込まれているのだから致し方ない。

 

 

 

無論、現在も軽躁は続いていて人生の極大を更新し続けるような感覚はあるが、同時に上がりに上がった位置エネルギーは降下のときに手加減をしてくれないだろうという漠然とした不安もある。

 

 

 

 

そんなところで、前がどちらなのかも決めるのは自分だね。

 

 

 

 

用意は周到、準備は万端、全てに於いて先手必勝。

分相応な人生を。

あぐれ