9月になってしまったの話
先に申し上げておくが、掲題はほぼ無関係である。
さて、9月になった。
ということは小中高校生の夏休み終了を意味している。何が言いたいのか?現在家庭教師で某3年生の授業を受け持っている。
要するに副業の話である。本業は守秘義務なのかコンプラなのかよくわからんとにかくあれこれうるさそうなので、基本的に書く気はないものの、副業についても生徒の特定が不可能な範囲でたまに書こうと思う。ちなみに言うとブログを万万が一生徒のご両親や生徒に見付かったとして対生徒保護者にもほぼフェイクでわたしの経歴は話しているし(資格の類は盛っていない)、ここにも本当のことをまるまる書くつもりもないため、物好きな購読者のみなみなさまにおかれましては「おおよそこんなことがあったのだろう」と適当な推測をして頂きつつ、読むなり止めるなりコロ助なりして頂きたい。
ブログのネタにするというよりは生徒を通して考えさせられたことに絞って書くつもりである。こどもの視点はなかなかに鋭いのである。
最近の授業でいうと、夏休みの始まりと終わりの話のときのことであった。
生徒「夏休みは始まらないでほしい」
わたし「どうして?」
生徒「始まったら終わりが来るから」
深い。ド直球で有無を言わせぬ哲学系の返答が来てしまい、思わず「それはそう」程度にしか反応ができなかった。こどもと思ってなめてかかると、彼らは意外と大人なのである。要所要所で「牽制」まがいの鋭い一言が飛んでくる。
こちらとしても気を抜けない相手方。
もはや歳の差こそそれなりにあれど、授業という土俵に立ってしまえばそれはもはや平等なプレイヤーなのである。開始の合図が鳴ってしまえば、講師も生徒もない。
「なぜ」「どうして」の純粋なぶつかり合いがそこに生まれるだけである。
わたしはどちらかというと攻めの講師のため、生徒の疑問質問に対しての解説もそこそこにするものの、大抵は「なぜこの回答にしたのか」「ここはどうしてなのか」「なんで」「どうして」「どういうこと」ともし他人から見たら「詰め」の手前に見えるようなこともたくさんこどもに投げかけている。
そのたびにこどもは彼らの持つ知識をフル活用して自身の言葉で表現や説明をしようと試みてくれるのである。個人的にはこの質問し本人に説明させる方法が最も本人の学習定着度を早くできるものなのではないかも思ってある。
長く待ってきたのでそんなところで、家庭教師つけられるっておかねあるなあ。、
用意は周到、準備は万端、頼れるものは使い倒せ。
よそはよそ、うちはうち、分相応な人生を。
あぐれ