おかかえのあたま

ぐれたりぐれなかったり

ぜんぜんだめの話

相変わらず脳みそが言うことを聞かない。

 

 

 

まあ、今に始まったことではないので、一過性の癪とでも思えば気分だけは楽になるが、全身の灼熱感と喉から食道にかけての疼痛のような気持ち悪さと不安感も焦燥感も何一つ消えない。瞬間的に誤魔化すだけなら頓服を飲めば済む話だが、そもそも症状が出てから薬で抑えるというのが後手後手でとかく嫌いである。無論、頓服を飲まなければ諸々の症状から逃れるために死ぬかという選択肢を使いそうになる。

ガタガタ言ってないでさっさと死ねばよかったのだ。いつだって若い子たちの死は悲劇で周囲から惜しまれ、美しさを伴う。年増の死には意味がない。せいぜい納税者が減ったことと僅かな経済活動を行う人間が消えたくらいで要するに誤差の範囲だ。例え周囲の人間が一時感傷的な気分になったとしても、時間が経てば各々が平穏な日常を取り戻し、該当者の死は統計上の数字に組み込まれて終わる。

 

 

記事を書いてる日と投稿日時にずれがあるため、投稿日のわたしは相当元気になっているのかもしれないが、それもまた一過性の健常期間である。完治する病気ではないので、とにかく投薬と認知行動療法でもするしかないものの、非健常期間を短くするために努力して何になるというのだろうか。この上なく馬鹿げた徒労に感じる。土を掘っては埋めてを繰り返させられる収容者たちと同等の気分だ。

早く脳みそを入れ替えて健常になりたい。もしくは若返ってから死にたい。

 

 

賛否両論あるだろうが、精神疾患、もとい脳みその障害から起きる自殺は現代の自然淘汰の形のひとつだと考えているので、わたしもいつそちら側になるのかというところだ。まあ、死ぬ死ぬ言っておくと死なないという法則があるので、こんな記事をつらつら書いている余裕があるうちは大丈夫なんだろう。

 

 

 

脳殼を入れ替えたい。

 

 

 

 

ぐるぐる電脳化。

あぐれ