おかかえのあたま

ぐれたりぐれなかったり

赤子の話

赤子は泣く。

 

腹が減っても泣くし、おむつ替えを要求するのに泣くし、驚いても、構ってほしくても泣く。話せないのだから、泣いて周囲の興味を引くしかない。共通言語で意思疎通ができることの素晴らしさをわたしに教えてくれる。

 

無論、わたしは子どもを産んだこともなければ、育てたこともない。そこらへんでベビーカーに乗せられ、もしくは母親か父親の腕の中でイノセントな顔をしている赤子を目にするだけである。この時期の子どもはチューリップ帽を被らされていることが多い。ああいうものを見ると、日常的な親のやさしさを感じるのである。

 

わたしもチューリップ帽を被らされて、どこかに連れて行かれただろうか。なるべく古い記憶を漁ってみるものの、チューリップ帽の気配はない。おそらく母親の趣味に合わなかったのだろう。

幼稚園に入るか入らないかの頃のわたしは髪を染められ、パーマもかけられていた。表現が受身なのは子どもに選択権がないから、というだけの理由だ。どこかに連れて行かれた記憶はある。両親揃っていて、車で行かねばならない距離の公園まで連れて行ってもらった。

当時はまだ父も世間一般で言うところのふつうの父親だったように思う。幼少期の写真を見ると、父親に風呂に入れてもらっている1歳になるかならないかの自分が写っていたものもあった。彼はそれなりに子煩悩な父親だったのかもしれない。

ちなみにその写真もおそらく今はもうない。実家にある写真やわたしの私物は、わたしが社会人になるかならないかあたりですべて父親に捨てられてしまった。友人からの手紙も卒業アルバムも通知表もすべてである。なかなかワイルドなことをする親だと思う。日本語のいいところは言い回し次第で良くも悪くも書けるというところだ。彼はワイルドだったのだ。

母親はそこまでワイルドな人間ではなかったが、いつの間にかわたしの振袖の帯を捨てていた。まったくの悪気もなく、わたしの許可も得ずに、である。ここだけの話、当該の帯は初任給の4倍ほどの値段でわたしが成人する2年前に購入したものだ。無論、父親の金であるが、所有者はわたしである。母上はそういう点でちょっと頭のねじが飛んでいってしまっている。悪気がないのだから仕方がない。責めようがないのだ、責めたところで反省すべきことがわからないのだから話すだけ無駄である。

わたしの両親はゴミクズか?

 

 

赤子の話に戻る。

公園や電車の中や、その他いろいろな場所で赤子を見かける。

少しずつことばを覚え、少しずついろんな物事を吸収し、やがて自分の判断で要らぬものを捨てるようになる。

生きることは選択することであり、選択することは選ばない方を捨てることだ。皆例外なく、大人になるまでにいろんなものを捨ててきている。わたしももちろんそのひとりで、捨ててしまって拾えないものもたくさんある。

今となっては拾う必要もないものだが、よりよい選択をするよりも捨てたときに後悔しないものを切ってきたような生き方だった気がする。

赤子には、捨てたものでさえ懐かしいと思えるくらいにいろんなことを経験し、今よりもたくさん泣き、それよりもたくさん笑い、怒り、悲しみ、自分を殺すことなく過ごしてほしいと思った。わたしはマザーテレサかなにかか。

 

まあ、要するに世の中の赤子はすべてが無垢ですべてが可能性の塊なのである。

 

 

 

 

 

わたしも赤子を持つことがあるんだろうか。

 

 

 

公園でいちばん高いところ、空にだって手が届く気がした。

 

 

 

ぐるぐるジャングルジム。

あぐれ