おかかえのあたま

ぐれたりぐれなかったり

化粧品の話

この前、女の子と会ったときに化粧品の話になった。

 

 

わたしは美容関係に興味関心があまりないため、化粧品を滅多に買わない。洗顔は水か固形石鹸、ファンデーションや下地は買ったことがないし、アイシャドウやアイブロウ、チークあたりはたぶん2年くらい買ってない。定期的に買うのはつけまつげとその糊くらいだが、それも最近はまつエクのおかげで要らなくなりつつある。化粧水や乳液の類は今はたまたま皮膚科にかかっているので処方されたローション類を使っているが、普段は洗顔後にハトムギ化粧水かニベアの青缶を塗っておしまいである。エステのお姉さんたちが聞いたら、こぞってわたしのスキンケア方法を訂正し、よりよい基礎化粧品を勧めてくるだろう。その手には乗らない。

 

ファンデーションや下地を使わない理由は、いくつかある。

まず、面倒だ。ふたつめに肌が詰まる気がする。そして、最後に隠さなきゃいけないほど、肌が荒れていない。そこらへんのお姉さま方の前で話したら、ぶっ飛ばされても文句は言えないだろう。

一応、会社勤めをしていたころは日焼け止めにパウダーをはたいていた。眉ティントで足りない眉毛を書き足し、チークとアイシャドウを適当に入れて、正味10分あれば顔が完成する。なんとも楽ちんである。

 

 

 

一緒に話していた女の子は、通っているエステで購入した基礎化粧品を使い、たまにデパコスでアイシャドウなどを買い足し、クレンジングの類も丁寧に行っているとのことであった。えらい。女性とはこうあるべき、という理想を思い知らされた気分になった。惨めな気持ちというより、世の中の女性たちはそうやって女性性や自尊心を保つための努力を怠らないのだというところに感心した。その人たちの手入れや化粧が芸術、美術と表現するなら、せいぜいわたしは図画工作である。まあ、わたしはしばらくやる気がないので他人事だ。

たくさんやりたい人はやればいいし、化粧が好きな人は好きな化粧をすればいいし、他人が不快にならないような顔を作って外に出ていればなんだっていいと思う。化粧の仕方や時間に関して他人がその人のことをとやかく言うのはお門違いだ。美意識だって人それぞれ、かけられる時間や金額の多寡も人それぞれ。このあたりは自己擁護のために書いた。   

 

 

 

ただ、女の子と化粧品の話をするのは楽しい。何より女の子がかわいい。キャバクラにハマるおじさんの気持ちも少しはわかるというものである。女の子が笑顔で話をし、話を聞いてくれるというのはそれだけで価値がある。わたしは女の子ではなく、女性という年齢になってしまったので彼女らと比較すると逓減する価値を食い止めるべく、基礎化粧品や化粧の仕方を見直すべきなのだろうが、ちやほやしてくれるおじさんたちがいるわけでもないので、まあよしとする。ただ、これもまたわたしの美意識の低さゆえにちやほやされないのか、ちやほやされないから美意識が低いのか、鶏とたまごだ。

 

 

 

 

いつまでもたまご肌でいたいね。

 

 

 

 

つるつるクレンジング。

あぐれ