友人の話
メンヘラではあるが、友人がいる。わたしが一方的に思っているだけかもしれないが、数人いる。皆、それぞれが異なる性質の人間ではあるが、一言で表せばいいやつだ。
友人たちとは発症前からの付き合いで幼い頃を知っている人もいる。友人全員に病気のことを話しているわけではないが、信頼のおける人にだけ話している。話しても受け入れてくれるのではないかという甘えと承認欲求があった。同時に隠していることの後ろめたさもあった。いずれにせよわたしの勝手で彼等に病気のことを話したのである。本当に手前勝手この上ない醜く愚かな考えだと思う。言われた側の迷惑も考えたが、誰かに聞いてほしかった。
聞いてくれた友人は、それぞれ本当は何を考えているのかわからないにせよ「話してくれてありがとう」と言ってくれた。聞いてもらって少し気持ちが軽くなった気がした。懺悔をするなら神父や牧師にするべきだったと思う。彼等は普通の家庭で過ごしてきた一般の方々なのだ。
「ごめんね」と言うわたしに対して「これからは『ごめん』よりも『ありがとう』って言うことにしよう」と返してくれた子がいた。ありがたいことだと思った。それからはなるべく謝罪のことばよりも、感謝のことばを口にするように心掛けている。
もう本当に嫌になって泣きながら遺書を書いたこともある。内容は僅かなわたしの資産が親や祖父母に渡ることなく、兄弟に相続されるようにというものだ。自死の予定はなくとも、交通事故や通り魔その他何がいつ起きるかわからない。だから、書いておいた。託したのはもちろん友人である。中身は印鑑証明と実印の押印もした。本当は公正証書を作るようなところで手続きをすればよかったんだろうけど、法的な効力があるものであれば構わなかったのでそのあたりは省いた。余計なことは何も言わずに遺書を預かってくれた友人はやさしい。
まあ、死ぬ死ぬ言ったり、遺書を書くような人間は大概長生きするのでお守り代わりに持っててくれと言ったら「長生きしろよ」と言ってくれたので、とりあえず20代のうちはがんばってやり過ごすことにする。
こう思うといつだって周囲の人間に救われてきた。
ありがとうはいくら言っても足りないな。
ゆっくりアールグレイでも飲みたいね。
あぐれ