おかかえのあたま

ぐれたりぐれなかったり

街で見かける子どもの話

こどもはかわいい。頭身がちいさい、ひくい?不安定なところもかわいさのひとつなのだろう。

 

一生懸命とてとて歩く。子どもによってはきゅっきゅ鳴る靴を履いている。かわいい。クロックスをひっかけて、てれんこてれんこ歩いて区役所に向かうわたしとは比べ物にならないかわいさだ。みんな頼む、こんなだらしのない大人にはならないでくれ。お姉さんとの約束だ。

 

 

家の近くに公園がある。土日はどこからこんな大量の幼女どもが湧いてきたのかと思うほど賑わっている。微笑ましい光景である。各々が穴を掘り、水を流し、草を摘み、かまくらを作り、火を燃やし、薪を割る。傍観者としての大人があるのみで、ここは子どもの自治区なのだ。怪我をしたって自分の責任。そんな当たり前のことがここではきっちり守られている。

危険と子どもの好奇心は紙一重である。多少痛い思いをしたら、次はそうならないように、仲のいい子がそうならないように自分たちで注意喚起もしていく。立派な子どもコミュニティが出来上がっている。そして、このコミュニティは素直な言葉が多い。ありがとう、ごめんなさい、ぼくはこれをしたい、いっしょにやろう、ちょっとまって、これかしてあげる云々、これが出来なくなった大人は多い。故意に他人の邪魔をする人まで出始めたかもしれない。

子どもゆえの素直さ純粋さはできる限り失わずに生きていきたい。彼らは成長途中でいろんな物事を吸収しているが、わたしたちが忘れてしまったことをたくさん持っている。

 

 

 

 

地元との違いも少し書こうと思う。

近所の子連れママ、パパたちはみな小綺麗な格好をしている。そして子どもも小綺麗な格好をしている。

地元は親子ともにジャージ崩れの格好をしているか、親だけキメキメで子どもがボロボロというパターンを何度も見た。

これらも地域性の違いなのだろう。個人的には全部小綺麗か、全部ジャージ崩れか、とにかく親子で差のあるような服を着ていないでいると少し安心する。

自分のセンスを見せびらかしたいだけで子どもをないがしろにする親はだめだ。全身ジャージからやり直せ。

 

 

 

この間、スーパーに行って並んでいたら、店員さんが

「これは…」

という顔をして封の破れたお菓子をスキャンするか困っていた。

母親が 

「すみません、子どもが開けてしまったみたいで」

と謝っていて、なんだかドラマの一コマを切り取ったように見えた。

 

親は子どものしたことで頭を下げる。子どもに悪意がなくても頭を下げる。それもまた子育てと言ってしまえばそれまでだが、子どもの壊したものをきちんと申告して購入できる親はどれくらいいるのだろうか。性善説をとりたい派だが、忙しさにかまけて子どもの行動が全部見られない場合だってある。あの母親は当然のことをしただけかもしれないが、わたしはこっそり褒め讃えた。

世の中の子を持つ親は当たり前のことをして褒めてもらうくらいのことがあってもいいはずだ。褒めたって何も減りはしない。減らないのならたくさん褒めてやればいい。住所を知っていたらこっそり手紙で「いつもがんばっていてえらい!はなまる!」くらいのことを書いて送りたいくらいだ。

がんばる親たちは適度に手も抜いていいのだ。根も葉もない言い方をするが、親はなくとも子は育つ。

 

 

わたしは子どもを持てるかまったくわからないけど、それでもそういう機会に恵まれたら、なるべくのびのび一緒に泣いたり笑ったり、旦那にも適当に押し付けたりしつつ、みんなで仲良く過ごせるような家庭にしたいと思う。

 

 

 

 

いい家庭にはレモネード。

 

 

 

 

いいこでまってるね。

あぐれ