おかかえのあたま

ぐれたりぐれなかったり

4月ももう折り返しである。折り返しどころか気付けば後半になっている。

ここ半月は泣いては薬を飲み誤魔化し、泣いては薬を我慢して落ち込みの繰り返しをするだけだったものの、とにかく暖かくなった。春の陽気とはこのことか。

 

 

暖かくなってきたということは大手を振って日傘が使えるということである。なんと幸福なことか。

 

わたしは傘が好きである。大学に入るまでは雨傘しか持っていなかった。日傘なんてシミを恐れるババア達の専売特許だと思っていた。

大学に入ってからシミを恐れるババアの子分になった。日傘は予想以上に快適なものだった。

 

まず、直射日光を浴びなくて良い。日傘なのだから当然である。

やたらと涼しい。とにかく涼しい。夏に日傘を使わず外をふらつく奴等は熱中症にでもなりたいのかと勘繰る程度には涼しい。製造過程の諸々は知ったこっちゃないが、電気も使わなければもちろんCO2も排出しない。最強にエコな涼しさがそこにはあった。

日傘さえあれば自分で陰を作れるのである。日傘を買ってさせばいい。これであなたもマイシャドウクリエイターの仲間入りを果たせる。Amazon楽天を使うなり、最寄りのPlaza的雑貨屋行き、可及的速やかに日傘を購入することを強く推しておく。

 

 

日傘のことばかり熱弁したが、傘の王道はむろん雨傘である、

雨の日、頭上で雨粒が爆ぜる音のなんと心地よいことか。

科学技術がこれほどまでに発展し、海外の知人とも顔を見ながら会話し、知らない街では衛星経由で現在地を確認しながら目的地へたどり着ける現代で、おそらく1500年ほどはほぼ原型を留めたまま使われる日用品は傘と包丁くらいではないだろうか。口から出任せである。

 

 

 

日傘は濃い色、雨傘は明るい色と相場が決まっている。決めたのはわたしで異論反論は勝手にしていただきたい。

かの有名な宇多田ヒカルも「青い空が見えぬなら青い傘広げて」と歌っている。雨で気が塞ぎそうなときは好きな色柄の傘で気分を上げていくのが正しい人生との向き合い方というものだろう。

 

 

 

つらつら書くのも疲れてきた。

何が言いたいかと言えば、学生のときにほしかったストライプの傘が忘れられないんですよね。

百貨店で見かけたものだったんですけど、1万5千円くらいして。社会人になってからだって傘に1万超えは躊躇するんだから、当時はとにかく見て終わるだけ。正確に言えば手に取って広げて「ああ、これほしいな」と思ってたたんで戻すだけ。

働き始めて、めちゃくちゃな贅沢はできないもののたまの気まぐれで傘に奮発するくらいはできるようになったとき、もうその傘はどこの店にも置いていなかった。ネットでも探しまくった。新品はもちろん中古でさえ見付からなかった。

あれはわたしの幻想だったのか、いや違う。確かにあの傘は存在した。存在したのに乞食のような根性で決断を先延ばしにした結果がこれである。

 

 

 

雨が降るたびに思い出す。

あの傘を持って出掛けたかったな。

 

 

 

 

本気の気まぐれだったという話。

あぐれ