おかかえのあたま

ぐれたりぐれなかったり

幸福論

何が幸福かという議論をしばしば耳にする。
個人的には何をもって幸福とするかなんて各々が勝手に決めればいいし、他人に押し付けるようなものでもないと思うので、正直他所の方々の幸福基準はどうでもいい。


まあ、こんな書き出しだと完全にここで終わってしまうのでわたしにとって何が幸せか少し考えてみたことを書こうと思う。

基本的には自分の部屋があってそこで寝泊まりできれば概ね幸せだと思っている。あまりに幸福の閾値が低いと思うが、実際そうなのだから仕方がない。
むやみやたらに他人から怒鳴られたり、暴力を振るわれないことも重要だと思う。これがあると即不幸になる。当然である。
もう少し前向きになって何があれば幸せなのかを考えると、わたしとわたしの家族が安心して帰れる家があればいちばん幸せだと思う。ここで言うわたしの家族に両親や兄弟は含まれていなくて、できれば配偶者やその人との子どもであるといいなという願望がある。もちろん配偶者どころか、恋人すらいない。半分夢ではあるが、好きな人とその子どもがいて、ちょっとムカついたことがあっても「まあ帰るか」という場所を作ってみたいと思う。単純に自分が誰かの安全地帯になれたらうれしいというだけで、こう考えると存外物質的な欲求は少ないほうなのかもしれない。
ただ、この理想の幸福にはいつも「多分病気だから無理だけど」という枕詞をつけたくなる。悲しいけど、誰が好き好んで頭のおかしい人間を選ぶんだろうかと思う。あたり前のことである。



ブログは自分語りの場だと思うので、存分に自分語りをするが、実家にいた頃のわたしはときどき親に家を追い出されて車庫で寝泊まりすることがあった。
夏はどこからともなく蚊がやってくるし、冬はとにかくコンクリートが冷たくて死にそうだった。我が家は車庫の近くに回収日まで発泡スチロールを放り投げておく習慣があったので、大きめのものを見付けてはその中に座り込んで過ごすことが多かった。自分の部屋はあったのにそこで寝られない。最高に惨めな気分だった。身体売って意味のわからない男の家に泊まったり、未成年で煙草をふかすような同級生の部屋に入り浸るでもなく、その状況に耐えていた自分を讃えたい。馬鹿かと思うほどくそまじめだった。
そこら中のホームレスも冬場は特に下を発泡スチロールにするだけで暖かさが段違いなので、ぜひ実践してほしいと思う。

あとはむやみやたらに怒鳴られないというのも本当に大切だと思う。当時のわたしは父親なんて理由なく怒鳴り殴る蹴るする存在だと思っていた。ちょっと大きくなってからは、わたしの父親の頭がおかしくて世の中の男性は簡単に子どもを怒鳴ったり殴ったりしないことがわかったけど、それでもしばらく男の人は怖かった。どうがんばったところで大人の男性に本気で殴られたらほぼ負けるし、まず萎縮してしまってどうしようもなくなると思う。他国はどうだか知らないが、日本の大体の男性が急に殴ったりする人達じゃなくてよかった。今は割とそれだけで幸せだったりする。
たまにある「過去に戻りたいか」という質問を目にすると、戻りたい気持ちはゼロではないけど、戻ったら100%両親を刺し殺して少年院に入ってしまうので、戻れない方がいいと思う。タイムマシンが出来たら1日前に戻って為替の上げ下げで生活するくらいの小狡いことしか思い付かない。

物質的な欲求が少ないのは、父がそれなりに稼ぐ能力のある人間でモノに不自由したことがないからだと思う。アニメや漫画に出てくるようなめちゃくちゃな金持ちではなかったけど、ほしいと思ったものは大体母親が買ってくれたし、友人よりも小遣いは多かった。奨学金を借りて進学しろなんて言われたことがないし、勝手に手続きすれば塾はいくらでも行ってよかったし、本当に世の中を舐めた子どもだった思う。
このあたりは親に感謝しかない。
とは言うものの、自分のバイト代で実家への手土産を勝っても目の前で捨てられたり、母の日父の日の贈り物がいつの間にかゴミ箱に入っていたりしたので、そのあたりの愛情がちぐはぐな人達だったと思う。今だからわかるけど、彼等は確実にわたしより舐めた子どもだったのに子どもを作ってしまったんだと思う。感謝の半面、こんなに苦しむことになるなら虐待死しておきたかった。
現世も概ね当たりだったかもしれないけど、来世の親ガチャは絶対に外さないようにする。



誰かの安全地帯になるということ以外にこれができたら幸せだと思うことは、やっぱり通院と投薬をしなくても健常者と同じように過ごせることしかない。
足りない頭を必死に使って考えても、ほぼ一生投薬は必要だし、薬を飲んでいたからといってそれでようやく人並みかそれ以下の事実に変わりはない。まるで自分が悲劇の主人公になっているような気もしなくもないが、残念ながらわたしの人生の主人公は今のところわたしなのでどう足掻いたところでこの事実は不幸に寄ってしまう。
不幸だ不幸だと嘆いていても、何の足しにもならないので、出来る限りこの事実からは目を背けるようにしているけど、ときどき思い出してはかなしくなる。薬を飲まずに生活出来ていた頃のことがだんだん思い出せなくなってきているのもかなしい。今の自分が最低限の幸福を享受出来ているはずだと頭でわかっていてもないものねだりは尽きることがないらしい。卑しい人間で自分に嫌気がさす。



正直言うと、誰かの安全地帯になりたいと思うのは一人暮らしもそれなりの年数になってきたので飽きてきたということもあると思う。人生80年だか100年だか知らないけど、ひとりで生きるのにはあまりに長すぎる。しあわせであっても、人生自体に飽きてしまったら何の意味もない。
たとえ人並みに働けたとして、自分のためだけに働くのにはきっと限界があると思う。自分以外の誰かのためならたぶんたくさんがんばれる。



いつかそのうち何かがきっかけで通院や投薬をしないで過ごせるようになったら、どうしようもない劣等感や不安からも解放されるのかな。
ちっとも想像できなくなってきちゃった。

お空が青くてしあわせだな~って程度の生き方がちょうどいいのかなって思い始めてきた。
毎日なにかに怯えることもなく、おだやかに過ごせたらそれ以上のことを望むのは贅沢すぎるのかもしれないよね。
今日も概ねしあわせだと思う。





ちょっとくらいぐれてた方が健全だったかもね。
あぐれ