おかかえのあたま

ぐれたりぐれなかったり

やりたいことリストの話

あけましたである。
あっという間に年が明けてしまった。



そんなわけで適当に今年のやりたいことリストを書いていく

1、今日の時点から12kg減らす
2、積立NISAを始める
3、うさぎ肉を食べる
4、年金の更新をする
5、カットモデルをする
6、1日10000万歩
7、安定した収入源をみつける
8、部屋の中の要らない服を捨てる
9、100冊本を読む
10、英語の参考書に毎日目を通す
11、牡蠣を食べる
12、温泉に泊まりに行く
13、台湾に旅行する
14、ふるさと納税をする
15、アウトレットに行く
16、バスツアーに行く
17、谷根千に行く
18、一人でダーツに行く
19、新しい友人を見付ける
20、素敵だと思うことを否定しない
21、自分のペースを大事にする
22、野菜を意識してとる
24、お酒を飲む人と距離を置く
25、やったことのないことをしに行く


漠然としたがこんなところで



くるくるニョロモ

また眠れないの話

眠剤を飲んだのが2時間前である。

掲題の通り、眠くない。



こういう日には否応なしに考え事をしてしまうもので、つくづく一人でよかったと思う。
もし、友人知人やきょうだい恋人が隣にいたらみじめでつらくて消えてなくなりたかったことだろう。



心療内科に通い出してから8年ほどになる。
わたしの中ではもう通わない選択肢はないため、これからもこの数字は死なない限り無限に伸び続ける。その事実もあまり受け入れたくはない。




薬を飲み始めて確実に変わったことがふたつある。
ひとつは寝る前の服薬準備の絶望感と虚無感に苛まれること。
もうひとつは旅行をしたくなくなったことである。

言わずもがな、眠剤は寝る前に飲む。わたしの場合は安定剤の類もまとめて寝る前に飲む。
シートから15錠ほどの薬を取り出し、水とともに服用する。
たったこれだけに思えるかもしれない一連の動作が毎日苦痛で仕方がないのである。
毎日毎日これが続くと思うととにかくみじめで薬頼りの自分に情けなくなる。
ただただ、悲しく陰鬱な気分になる。眠れない時は尚更だ。

旅行をしなくなったのもそれが大きい。
他人は薬を飲んでいるわたしより先に寝て、薬を飲んでいるわたしの方が早く起きる。これもみじめである。薬を飲んでも常人より眠れないのだ。
わたしはこんな人生が送りたくて薬を飲んでるわけではない。他人に隠れて薬を飲まなければならないようになったのは劣等感からだと思う。



もともと長時間眠れるタイプの人間ではなかったかもしれない。それでもここまでひどくはなかったはずだ。
眠れないつらさは眠れない人にしかわからない。
人並みになりたい。

泣けないという話

掲題の通りである。

泣きたいのに泣けない。
それがつらい。


知人に相談したら
「感動する映画を見てみたら?」
くらいにさらっと流されてしまった。

つらい。

喉のあたりもずっと詰まった感じがする。
誰かに救われたい。
助けてほしい。

そんなことを言えるはずもなく、ブログに書いて終わるのである。
どうやったらストレスや今の思考から離れられるかな。

しんどい。

できなくてつらいの話

誕生日前後は大抵絶望するものである。


そんなわけで2ヶ月ほど放置してしまった。理由は特にない。

最近のできないことはまあそれなりにあるものの、
主に
眠りたいのに寝れない
泣きたいのに泣けない
風呂に入りたいのに入れない
の三つである。

食事はギリギリあまりできてはないないが、書くほどのことでもない。
寝れない泣けない風呂れないのはしんどい。


ブログも書きたいのに全然書けない。
しんどい。

このあたりで。


楽な死に方ないかなあ

キノボリガメの話

カメレオンを買う機会がないのでキノボリガメに思いを馳せる。

キノボリガメは南米原産、特徴は勿論カメの甲羅を持ちつつもカメレオンが如き緩慢な動きで木に登ること、つまり立体的な移動ができるという点に集約するだろう。
キノボリガメは他の陸生のカメ同様、適度な紫外線ときれいな水、野菜と果物を必要とする。

なんといってもキノボリガメの愛くるしい点は木登り後に適切な休憩地を見付けて昼寝をする姿である。最もよい飼育環境を作るために苦心する人が続出しているとのことだ。

寿命はおよそ15-40年、飼育下ではさらに伸びるというが飼育例が少なく正確な数字は定かではない。正式な記録ではないが、飼育下で74年生きたという話が19世紀のカンボジアに残っている。
卵生であり、わずか数センチだった幼体は3年ほどで生殖が可能なほどに成長する。その後も脱皮を繰り返しながら成長していく。キノボリガメの特異な要素のひとつとして10歳以上の成体は木登りをしなくなることは有名ではないため、今後飼育を検討する方は頭に入れておいていただきたい。。
大きな個体が木登りをしないことについては諸説あるものの、足で木を掴み、大きな甲羅と自重を支えることが困難になる説、そもそもある程度育てば外敵が減るため木に登る必要がなくなる説など、さらに観察し研究の余地がある点もキノボリガメ飼育の醍醐味である。




ここまで書いたけど、キノボリガメは存在しません。
今からキノボリガメの認知度をあげる活動をしていきます。
読んでくれた方、お疲れ様でした。


そんなところで。



かみなりぴかごろキノボリガメ!

眠剤を飲まなかったの話

心の底から後悔した。
民間療法的な手段で寝ようと思い立ち、眠剤を飲まなかった。あほである。



試したものは
・紙の本を読む
・数を逆に数える
・呼吸のときに数を数える
・認知なんとか連想法
あたりである。

一晩まるまる潰してしまったので処方薬が出てる人たちはおとなしく薬を飲んで寝るのが良いということだろう。

眠れないと思うから眠れないのか、薬を飲んでいないことが気になって眠れないのか、朝が来る焦りから眠れないのか、とにかく眠れなくて時間が長くてつらかった。
無論、昼寝はできなかった。いい加減にしてほしい。


あれこれ書こうと思ったけど、眠くて気が散るのでまた今度。



ぬるぬる七夕ジラーチ

メメントモリの話

唐突に希死念慮が高まることがある。
そんな内容を書くかなと思ったため、表題がメメントモリである。
厳密には生きることを前提とした云々ということがあるかもしれないが、生きることを前提に人生を組み立てていないため却下である。


ここのところ気分安定薬が全く出ていなかった。
出なかったことについては、もはやどうでもいい。
どうでもいいが、薄ぼんやり予想していた「いつか」が最近来ているというだけのことである。



こういうときに思うのは

薬を飲まなければ自分の感情を制御出来ないのか
結局また増薬するしかないのか
具体的な自死の方法は何が最も効率的か
今まで成功した人達はどのように決行したのか

大体この4つである。



服薬についての絶望は常日頃からあるため、ひたすら諦念に徹しているが、具体的方法を探すとなるとなかなか難儀する。
投身が楽なことには変わりないらしい。位置エネルギーは偉大である。
縊死を想定した場合は、部屋のどこに紐を垂らすのか、そんな最適な場所が我が家にあるのか、なさそうで仕方なくベランダの手すりに紐をかけて死刑よろしく首に輪をかけつつそのままベランダの外へ身体ごと投げ出して頚椎を折りながら全うするのが最も現実的である。
いずれにせよ、屋外になってしまうため目撃者は軽い衝撃を受けるだろうが人生100年、生きていれば死ぬ人を目撃することくらいあるだろう。その日は運が悪かったと思ってぜひ一日を諦めて過ごしていただきたい。無論、わたしは死んでいるため責任は取らないし、取れない。

過剰服薬はどうなのか、という話もあるが、屋内でどうしても遂行する必要がある場合のみ実行する程度の優先順位である。
理由は、実現可能性が低いから。
手持ちの強めな薬を軽く挙げてみても
ベゲタミン100錠低度
サイレース70錠程度
レボトミン50錠程度
アルコールを入れたとしても圧倒的に少なすぎる。
あともう少し減量して薬の回りをよくしつつ、デパスマイスリーベンザリンコントミンその他手持ちの薬を投入しても、よくて2,3日意識がなくなるくらいで、後遺症なく社会復帰すればよいものの最悪の場合は横紋筋融解症で苦痛と共に入院生活である。
完遂できなさそうなことはしたくないので服薬で実行したい場合はもう200錠程度レボトミンあたりを足しておきたい。

ああ、でも若いときに失敗したのは肝臓の機能がそこそこよかったからで、もしかしたら今のわたしなら以前よりは率が上がっているかもしれない。
あくまで可能性の話である。




もしくは、もう一層のこと働くのも院に行くのも全てやめて入院してみるという手である。
言わずもがな今以上に人生は手に負えないことになるが、そもそも自力でどうこうしようと考えるからこの有様なわけで他人に全て委ねてしまうというのもある種の選択肢のような気もする。
しかしながら、精神科病棟の状況を漠然と知っているため正直に言ってしまえばあんなところで生き長らえるなら、死んだ方が精神衛生上よさそうである。
かなしきかな、日本の精神科医療。




投身と縊死、迷うところではありますね。



こんなところで。




死は救済。