特急券をなくしたの話
タイトルの通りである。
前回に引き続き、書くのが久しぶりすぎて文体を何で揃えていいのかわかりません。
しばらく迷走します。
「世の中で緊張する瞬間を3つ挙げよ」と言われたら
新幹線
映画館
料金所
と答えるレベルで新幹線は緊張する。
新幹線の何に緊張するかと言うと、「乗り遅れたらどうしよう」「ちゃんと席は探せるのか」「そもそも乗り場はどこなのか」など考え出すとキリがない。
軽めの全般性不安障害が疑われる程度には、新幹線という「状況」に緊張する。人といれば幾分かマシにはなるものの、マシになるだけで緊張はする。
さて、タイトルに戻る。
特急券をなくしたのである。
人生で生まれて初めて特急券をなくした。
しかも、乗車券と特急券を2枚ともなくしたならまだわかるが、特急券だけをなくしたことに軽めのパニックに陥った。とりあえず寄ったところ、辿った道、交番、駅の窓口、全て行ったがないらしい。
新幹線乗車前によくこんな寄り道をする時間があるものだと思われるかもしれないが、基本的に新幹線に乗る1時間前には乗り場近辺をうろうろしているため、時間自体は余裕がある。精神的な余裕がない。SAN値はゴリゴリに削れ、「金は出すからどうにかならんか」状態である。我ながら落ち着いてほしい。
どこにもないらしいのでみどりの窓口へ行き、どうしたらいいのかを悲しみに暮れた顔をしながら何をすべきかをたずねた。窓口にいた初老の男性は「はあ、そんなことか」と言わんばかりに淡々と説明をしてくれたが、要するに『特急券の再発券はできない。新たに買う必要がある。紛失した証明を新たな特急券に記載するため、紛失した特急券が出てきたら手数料を差し引いて特急代金を返金できる。期限は1年。降車の駅では改札を通らず駅員のいる窓口へ行く』ということらしい。
最終的には窓口の男性がなぜか唐突に陽気な親戚のおじさんのような雰囲気を出しながら「気を付けて行ってきてね」と言われ、完全に子ども扱いである。確かに中学生が着るようなパーカーを着ていた。俺はこれから旅に出る。
いちいちなぜこんなことを書くのかというと、窓口の男性に説明してもらったことをわたしか忘れるからである。
エビングハウスの忘却曲線というのは、よく記憶の定着の説明で使われるが要するに「何回も言ったり見たり書いたりしたら忘れづらい」ということなので、とりあえず書いておいた。
特急券、どこに行ったのか…。
お金よりもなくしてしまった自分が情けない。
そんなところで。
ぬるぬるアメタマ!
一年ぶりの話
前回の更新からということである。
単純に存在を忘れつつありました。
前の更新から今日まで特に大きな変化があったというわけではなく、わたしの日常は静かにゆっくりと流れていくだけです。
身辺整理がそれなりに進んでいるのですが、3年前のダンボールがそのままになっていたり、とりあえず毎回持っていくものの本当に必要あるのか?というものもたくさんあり、物理的にも精神的にも身軽に生きるというのは存外難しいのかもしれません。
とはいえ、生きる上で必要なものだけで生活が構成されてしまうと、それはそれでわたしの生きる意味はあるのか?という公案的な雰囲気も出てきますし、人生の不必要を楽しむ余裕がいつも欲しいものだと思います。
最近、持っていくか迷った中のひとつに写真があります。
幼少期から大学か社会人なりたてあたりまでの写真で、梱包前に少しだけ見返したものの、病気になる前の自分がどうだったのかわからなくて、だんだんつらくなるのですぐに見るのをやめてしまいました。ひとりでいるときの手元に置いておくには、扱いづらいものになってしまったようです。
エピソードとしての自分はわかるのですが、どんな風に過ごしていたのかうまく思い出せない…。
単純に加齢で他の人もこういう経過を辿っているのか、それとも疾患もしくは薬のせいなのか、いずれいせよ病気に振り回されることなく過ごしてきた日々を考えると複雑な気持ちになります。
発症前は親やその他親族に振り回される生活をしていて、発症後は病気と薬に振り回される生活をしていて、どちらが生きやすいか…どっちも嫌かな、通院と服薬は飽きました。
で、今日も少しずつ家のものを引き取ってもらったり、送ったりしながら過ごしていたのですが、部屋の中が殺風景になっていけばいくほど
そんなところで
抑うつ爆発しそうなのでこのへんにしておきます。
昔に書いた文、気持ち悪いから消そうか迷うし、開始時の設定も忘れたけど、またたまに書いていきます。
本当に昔の自分が思い出せなくて悲観的になってしまう。
ぬるぬるヌマクロー!
虫がいないの話
夏になるといつも思うことである。
いつもというのは語弊があるが、ここ最近はという意味では虫がいない。
まあ、虫というのもほぼ蝉のことを指している。
うるさくないのは快適である。
そういえば、上京するまで毎年毎年朝から晩まで何かしらの虫が鳴いていたように思う。
何かで虫の鳴き声を「歌」や「音」と表現したがるのは日本独特の文化云々というのを読んだような気がする。
風流といえば確かに聞こえはいい。
好きな人なら好きだろう。
季節のものを楽しめるというのも才能のひとつである。
わたしは虫どころか犬猫その他畜生の鳴き声さえ極力耳に入れたくない部類の人間なのでこの環境はかなりありがたい。
風情がない。
鳴かない虫もそれなりにいることは知っている。
虫は機械的で不気味で思考を読めない。
学生のときに「虫くん」と呼ばれていた子がいた。
あだ名の由来は、誰からも何を考えているのかわからないからというだけだ。いじめられたわけでもなく、無視をされていたわけでもなく、他人をないがしろにするわけでもなく、協調性が皆無というわけでもない。
不思議な子だった。
心ここにあらずというか、何を考えているのか本当に何も考えていないのかとにかく掴みどころがなく虫みたいな子であった。
寡黙であったことは覚えている。教科書の読み上げくらいしか大して言葉を発していないようにも思う。
もしかしたら、虫くんは人間の皮を被った虫だったのかもしれない。
はしゃいでどうでもいいことに一喜一憂する子どもを複眼で観察しながら、機械的に人間の行動を記録していた可能性もある。
我々が到底理解し難い遥かなる高みからただただ暇潰しに下界に降りてきた虫たちのひとつが虫くんだったのかもしれない。
そんなわけはない。
話が逸れた。
蝶や蛾の類は変態する。
こっちを書けばよかった。
この話はまたそのうち書きたい。
そんなところで。
ぬるぬるスピアー!
最近の話
ここのところ実に穏やか極まる生活を送っているのである。
いいことに違いはない。
私生活での諸々はあるものの、人生単位で見れば瑣末なものだろう。気が向いたら仕事に行き、分相応に外に出て遊び、自宅では何も考えずに金魚を見る。
いわゆる身の丈にあった生活というものをしている。
特段贅沢をするわけでもなく、かと言って質素倹約を旨と生きるわけでもない。
割と最近意識しているのは「中庸」
「中庸」とは儒教の中の概念のようなものである。何か極端にならず、偏ることなく中正であることというのがわたしの認識だ。多少間違っているかもしれないが、儒教ではないためご愛嬌ということで。
「中庸」意外と意識すると難しく、大抵の人間は白黒つけたがるものである。もしくは点数化したり、比べても致し方のないものと比べては一喜一憂し、己の精神を消耗する。
わからなくはない考え方だか、おそらく疲れる生き方だと思う。
無論、わたしにも白黒はっきりさせないと虫の居所が悪い時期があった。思考は常に0か100かのどちらか。精神的には相当追い詰められていたと思う。そんなに肩肘貼らず働いていてもよかったのだが、当時はそんな余裕もなかったのだろう。
ある意味でいい経験である。
どの程度でブレーキをかけるか、自分の機嫌をどのように取るか、疲労やストレスの類を解消させるか、そのあたりをうまく調整できるようになってきたのは、歳をとったこともあるかもしれないが、いつも中庸を意識していることが大事なのだと思う。
とはいえ、他人に押し付ける気はないものの、この話をしたら「なんか冷たい感じする」と言われてしまった。
人間関係はまた別のお話。
そんなところで。
ぬるぬるアーボック!
意識をすると絶望するの話
散々書いた投薬のことである。
最近会った知人に今飲んでいる薬が一生服薬が必要なことを少し話してみたところ
「毎日飲むの?しんどいね」
という反応が返ってきた。
正直、毎晩飲む薬に関してはもう諦めているし、無心で錠剤を出しては水で飲み流すことをかれこれ8年かそこら続けているため、何とも思っていないつもりではあった。
しかしながら、純粋な心配や共感であれ、維持薬について「しんどい」と言われたことで久しぶりに「ああこれは世間一般では哀れに思われることなのだろうか」「確かに毎日薬を飲まなければ安定を保てないのは異常である」等々考えてしまった。
考えること自体に意味はないことはわかっている。
誰に何を言われ、どう思われようが淡々と薬を飲み続ける選択しか残っていないのだから致し方ないというわけだ。
いつだったかHIV感染者がAIDS発症を抑えるための薬を死ぬまで毎日服用することに絶望して自殺したニュースがあった。
気持ちはわからなくない。
病気の比較をするわけではないが、不治の病ではないとはいえ(完治しないという点では不治の病かもしれない)改めて考えるとそれなりに劣等感を抱かないことはないし、何より単純にみじめである。
わたしは概ね人生が幸福であるように感じながら日々を過ごしているものの、時々凪いだ水面に小石を投げるが如く、安定した精神を揺さぶる出来事が起きる。
自身の行動では不可避であるとはいえ、それを理由に全てを全て見なかった・聞かなかった顔をして過ごせるほどはまだ人間が出来ていない。
無論、面倒事は避けたいため、大抵は現場から離れる・その人物と幾らかの期間疎遠になることで自身の中で消化していく。
今飲んでいる薬は夜のみで17錠。
多いか少ないかの判断は各々に任せるとして、わたしにとってこの数を少ないとは言い難い。
無関心を装わなければ毎晩毎晩この数を死ぬまで飲み続ける馬鹿げた作業に耐えられないだろう。
幸いなことに同じ病気の人間は平均して20-30年程度死ぬのが早いらしい。それでも50前後まで生きるのかと思うと途方もなく遠い未来に感じるが、70,80まで生きるよりはいくらかマシだと思う。
薬物の代謝に肝臓が耐えられなくなったか、もしくは大抵の患者は喫煙・アルコール・その他違法に近い薬物を接種しているために寿命が短くなっているという推論が立っていたが、読んだ論文では被験者の数が少なすぎて再現性に欠けるため、せっかくなら大規模な精神科病棟の入院患者に協力してもらい、個人を特定できない範囲で数値を出すくらいはできそうなものだが…話が逸れた。
ただ単に現実逃避も大事なのでは?という話でした。
そんなところで。
ぬるぬるポッチャマ!
金魚を増やしたの話
新入りは黒出目金である。
金魚の話題は久方ぶりな気もするが、そもそもブログ自体を2ヶ月少し放置していたのだから何を書いても久々になってしまう。
黒出目は浅草の金魚すくいで手に入れた。はっきり言って個体の状態は最悪だったが、持ち帰ってしまった以上は致し方ない。
素人のわたしでもわかることは黒出目が軽めの白点病にかかっているということだ。
白点病とは、白点虫とも呼ばれているウオノカイセンチュウという寄生虫の幼虫が金魚に寄生することで発症する。ちなみにこの虫は幼虫のときに魚に寄生し、成虫になると魚を離れ、水中に漂うようになる。
白点病の治療法はないため、金魚自体の治癒力に賭けるしかないが、その手助けをすることはできる。
上記の通り、幼虫が寄生し、成虫は離れるためそのサイクルにあわせて水を換え、新たな幼虫が個体に寄生しないようにすることで白点虫を駆逐していく。
そもそも、新規の生体導入の際は病気の有無に関わらず別の水槽で数日餌切り・様子見を行う必要があるため、治療も兼ねて黒出目はしばらくバケツの塩水に放り込んでおいた。塩水と書くと淡水魚に負担をかけているような印象を持たれるかもしれないが、金魚の体液が0.5%だかそれくらいの塩分濃度を保っているらしく、同程度の塩水で泳がせておくと淡水よりも個体への負担が少なくなるということらしい。
無論、わたしは金魚ではないため、本当に塩水で楽に過ごしているのかわからない。今までの金魚も何かあったらとりあえず塩水でどうにかなっていた経験から、とりあえず塩水というのはあながち間違いではないと信じたいところだ。
餌切りをするのも金魚の体力消耗を減らすためである。これは人間も体調不良のときに食欲がなくなり、消化に充てるエネルギーを回復にまわすことと同じ理屈であるらしい。
あれこれ「らしい」と書くのは、やはりわたしは金魚ではないし、そもそも体調不良のときでも基本的には食欲があるため、一般的にはそう言われているということしか書けないからだ。
いつだって飯はうまい。
さて、話を戻して黒出目の治療である。
餌切り・塩水漬けの虐待もどきを5日ほど行ったところで白点は消え、10日あたりで元気に泳ぎ回るようになったため、ようやく餌を与えるようになった。
ほぼ完治と言っていいだろう。
ちょうどそのタイミングで黒出目の水槽も届いたため、底に黒石と黒砂を敷き、放り込んでおくことにした。バケツの生活よりはいくらかマシになったように思える。
しかしながら、新居に移したことで新たな問題が発生した。
バケツは色がついているため、何をどう足掻いても上見になる。
水槽に移したことで黒出目を横見できるようになってしまった。
黒出目は本来上見の品種であると思っている。
何が言いたいのか、
横見は割とキモいということだ。
それこそ塩水よろしく手塩にかけて治療した黒出目であったが、横見は若干受け付けない器量であった。
世の中とはそういうものである。
黒出目を導入してから1ヶ月ほどになったが、この金魚の名前は「黒い魚」となった。
ちなみに我が家には他に3匹の金魚が居候しており、窓際に計2匹、玄関の靴箱上に1匹いる。
窓際の2匹は「窓際族・白」「窓際族・黄色」で玄関の1匹は「玄関ちゃん」という立派な名前がついている。
窓際族・黄色と玄関ちゃんはレモンコメット
窓際族・白はアルビノ
という構成で今回黒が入ったが、黒い魚は基本的に遠目に眺めることとなった。
引越し前に飼っていた金魚は、都内の駅名をつけていたため、魚への熱量は大分下がり気味らしい。
水道橋、青一、中目黒…
そんなところで。
ぬるぬるミニリュウ!
ログインできたの話
ログインできたというだけのことである。
久しぶりに書く気になったものの、ネットからのログインができなくて心底困り果てていた。
アプリで解決した。
タイトルとは関係なく、近況を書こうと思う。
仕事は相変わらずの低空飛行だが、可もなく不可もなく生活ができる程度である。
問題はやる気のない出勤日数にも関わらず、月に数日病欠をしていることだ。仕事に対して熱量が低いから欠勤が増えるのか、そもそも本当に体調が悪いのかはもはや自分でもわからない。
職場の人もわたしがいないからといって困るのか?と問われれば、答えは「否」であるだろうし、ここのところは全てのコミュニティで、もともとゆるかった繋がりが更に希薄になりつつある。
友人が多い人、職場での人間関係を重視する人、血縁を信仰する人、それぞれ自由だとは思うがどれもわたしにとって重要なコミュニティではない…と思う。
断言しないのは結局のところコミュニティから切り離されたわけではないため、失ったときの感情をうまく想像できないからである。
コミュニティの喪失は人の死に似ているようにも思う。
今のところ、幸福なことに親しい友人知人で鬼籍に入った人はいないが、今後一切会えなくなるとなったときはどう思うんだろうか。
ちなみにわたしは自分の死が他人に影響を与える想像ができない。積極的な死を望んでいなくても、望んでいて叶ったとしても、喪の作業としての悲しみはあるだろうが、人の文化がそうさせるのであって、わたし自身がいなくなったことに対する感情や行動の変化ではないと思う。
他人に対しても似たことを考える。死んでほしい人はいないが、例えば誰かが亡くなったとして本当に故人を悼む気持ちなのか、故人を悼むことが文化として刷り込まれているからそうしているに過ぎないのか違いがわからない気がしている。
そう考えると、コミュニティの喪失や追放、脱退、解散も存外たいしたことはないのかもしれない。
さすがに自ら関係を破壊することはないと思うが、単に円滑に過ごしたいがためにコミュニティに所属しているのか、コミュニティに所属している自分が文化として必要だからそうなっただけなのか、いずれにせよないと困るがだからどうした?という結論になってしまいそうなので今日はそんなところで。
我ながら驚くほど他人の感情がわからなくて困るが、言うほどには困っていないことに困っているという矛盾がある。
近況ではなくなってしまった。
ぬるぬるニョロモ!